
順天堂大学医学部を卒業後、同大の内科研修を経て膠原病内科へ進みました。大学院在学中には米国ピッツバーグ大学へ留学し、リサーチフェローとして研鑽を積んでいます。帰国後の1980年に学位を取得し、その後は都立墨東病院の内科医長として、リウマチ・膠原病の臨床現場で経験を重ねてまいりました。1991年からは栃木県の今市病院に移り、地域医療に従事。2011年に医療法人明倫会の理事長を引き継ぎ、2020年からは日光野口病院の院長も兼務しております。これまでの研究と臨床の経験を活かし、現在は法人の運営に携わりながら、地域の皆さまの健康を支える医療体制の維持に努めています。
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先代から続く医師の家系に生まれ、長男でもあったため、医師になることに大きな迷いはありませんでした。医学部に入学してから、ジェームズ・D・ワトソンの著書『二重らせん』や『遺伝子の分子生物学』を読み、生物学、とくに分子生物学に強い関心を持つようになりました。大学卒業後、研修を終えて入局する際には、医学研究が盛んな分野を志し、膠原病内科を選びました。すると初年度から、美容外科で異物注入を受けた経験のある膠原病患者(ヒト・アジュバント病)に複数例出会い、その研究成果を米国の一流医学雑誌で発表することができました。その後、意気揚々と米国の大学に留学し、医学研究者の道を目指しましたが、自身の力不足を実感し、志半ばで帰国することとなりました。帰国後は都立病院での勤務を経て実家に戻り、すでに帰っていた弟と協力して、病院経営に携わることにしました。
医療者と患者の出会いは、一度きりの大切なものです。医療とは、患者を一人の人間として尊重し、医学の知識やこれまでの経験、技術を生かして治療にあたることだと考えています。そして、その医療には当然、結果に対する責任が伴います。その責任を自覚し、覚悟を持って診療に臨んでいます。また、今日の医療は多職種が連携するチームで行われます。そのため、互いに呼吸を合わせながら、それぞれが役割を果たせるよう努めています。言葉で明確に伝えることは重要ですが、状況によっては、互いの動きを察し、迅速に行動することも求められます。
医学研究者の道を諦め、実家の病院に戻ることを決めたとき、特別な医師ではなく、「当たり前の医師」として、そして経営者として生きていこうと覚悟を決めました。私が考える「当たり前の医師」とは、どのような患者であっても受け入れ、自ら診ると決めた以上は診断の手順と治療方針をしっかり考え、その結果に責任を持つこと、そして患者やその家族から信頼される存在であることです。また経営者としては、職員一人ひとりがやりがいを持ち、前向きに働ける環境を整えたいと考えています。そのために、多職種の職員が力を合わせ、患者により良い医療とケアを提供できる仕組みをつくり、実際に機能させていくよう努めています。
私は、いわゆる「理想的でかっこいい大人」とは少し違う道を歩んできたように思います。これまでに何度も挫折を経験し、失敗や失言を重ねては後悔することも多くありました。80歳に近づいた今でも、自分が理想とする大人になれたという実感はありません。若い頃には、医学研究者として進む機会があり、周囲からの期待もあったはずです。しかし、十分な努力や忍耐ができず、その道を離れ、郷里に戻るという選択をしました。その後は、「普通の当たり前の医師」でありたいと考えるようになりました。むしろ、理想的で華やかな医師像や大人像を追い求めることから距離を置きながら、仕事に向き合ってきたように思います。人から評価されることよりも、人の役に立つことを大切にし、病院経営を少しでも長く続けていけるよう努力したい――その思いで歩んできました。
「明倫、医道を究む」は、私が理事長を務める医療法人の理念です。この言葉は、単に医療技術が優れているだけでなく、人としての倫理観や道徳を重んじ、そのうえで医療の道を深く探究し続けることの重要性を説いています。患者の命を預かる者として、優れた技術と豊かな人間性の両方が不可欠であるという教えが込められています。これは、江戸時代に儒学(朱子学)の教えが広まった際に、医師の教育方針として用いられた言葉です。医療は人を助ける崇高な仕事であり、その道に進む者は、常に己を律し、人間性を磨き続けなければならないという、昔も今も変わらない医療従事者への戒めや願いを表しているといえます。
結果ではなく、その時のプロセスを重要にしてください。人生は常に選択の連続であり、迷うことも多いと思います。しかし、自分で考えて悩み抜いたプロセスこそが、あなたを成長させる糧になります。どんな結果になろうとも、あなたの努力は決して無駄になりません。正しい選択をして頑張ってほしいと思います。応援しています。

父がビルマ出征中、父のレコードを伯父が空爆の中、命がけで守り抜いた宝物です。伝説のテノール、カルーソーが歌う『道化師』のオリジナルのSP盤には、時代を越えた家族の記憶と、芸術への執念が刻まれています。

大学入学直後に読んだワトソンの『二重らせん』は、当時の私に最も強い感銘を与えた一冊です。今もなお、深く心に刻まれている、かけがえのない大切な青春の記憶です。