2012年高校3年時に参加したカンボジアのボランティア活動をきっかけにカンボジアでの起業を決意。アメリカパサデナシティカレッジ卒業後カンボジアの日系ビジネスマガジンインターンを経て、タイの日系不動産会社に入社。その後タイ国内で日系不動産会社2社6年間の経験を経て2024年カンボジアで独立。現在はカンボジアで不動産仲介業を行う。
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カンボジアでのボランティア活動をきっかけに将来カンボジアで起業しようと決意しました。その中でも以下の条件を満たす不動産仲介業を選びました。1つ目に投資の知見が得られる業種。2つ目にカンボジア人の雇用を生み出せる業種。3つ目に多くの人と関われる業種。4つ目にカンボジアに在住するアドバンテージを活かせる業種。不動産仲介業を学ぶにあたり、カンボジアのマーケットより成熟していて、かつ日本やシンガポールほど成熟度がかけ離れていない国で経験を積みたいと思いタイを選びました。その後、タイの日系不動産会社2社にお世話になり、カンボジアに戻り独立しました。
会社なので利益は追求しつつも、お客様のお困りごとを解決したいという精神を根底に持ち仕事をしています。モノを売るだけの営業というよりはお困りごとを解決するコンサルティングをしているイメージです。そのためには単一の業務的なサービスだけではなく、総合的でホスピタリティーあるサービスを提供しなければならないと思います。また、これまでカンボジアに貢献し日本の信頼を築いてくださってきた日本人の先輩方の背中に続き、現地のカンボジア人からも評価される会社にしたいと思います。
高校2年生のときに親友が部活中に倒れ、そのまま病院で亡くなる事故が起きました。私の目からは学校側に過失があったにも関わらずそれを認めないよう動いているように映り、学校や社会に対して不信感や嫌悪感を抱いてしまい地元にいることが息苦しくなっていました。また、その親友が亡くなった日と幼いときに亡くした私の父の命日が同じだったため、自分のせいで身近な人が亡くなったのではという罪悪感も重なり自暴自棄にもなっていました。そんな時期にたまたまネットで見かけたカンボジアのボランティアツアーに参加しました。たいした授業もできなかった私に一生懸命感謝を伝えてくれた子ども達のおかげで、生きていてもいい理由ややりたいことが見つかり、救われた気がしました。その時からカンボジアに恩返しをすることを決め、身の丈に合わない理想を追う人生を覚悟をしました。
私にとってカッコイイ大人とは自分が持っているものを気前よく分け与える人です。それは食事代などの金銭だけではなく、時間や知見や心配りなどを含みます。分け与えられるカッコイイ大人になるために多くのものを身につける努力をするべきだと思います。まだまだ身につけているものも少なく、理想の大人には程遠いですが、ケチケチした大人にはならないよう心がけています。
より多くの雇用を生みたいです。カンボジア人はもちろんですが、カンボジアが好きな日本人の雇用も生みたいと思います。そして来年には私塾運営や送り出し事業にも小規模でも携わり始めたいです。将来的にはカンボジア人塾生が日本に留学したり働ける機会を作ったり、カンボジア人に日本の不動産を紹介したり、カンボジアだけではなく日本のためにも何かできることをしていきたいです。カンボジアでこれらのことをしたあとはミャンマーやラオスなど、より後進国で同様の活動を展開していきたいです。
自分の最期を想像してみてほしいです。例えば私は死ぬまでに世界中を旅してみたい、死んだときには多くの友人に偲んでほしいと思っています。理想の最期を思い描くと理想の自分や生き方が見え、社会的評価軸ではなく自分軸で後悔しない行動ができると思います。もし自分の理想の生き方ややりたいことが見つからないと思う若者は、勇気を持って海外に出てみてほしいです。日本の価値観は世界人口でみると80分の1でしかありません。寂しく苦しいこともあると思いますが、その分自分なりの価値観が作られると思います。
父の形見です。普段時計は身につけないですが、大事な場面で身につけます。その度に一生懸命選んでくれたであろう父に感謝しています。
タイ在住時代コロナ禍にロックダウンとなり辛かったですが、ゲームのおかげで日本の友人達とオンラインで遊べることができて精神的にとても助かりました。今でもときどき雑談がてら友人達とゲームをします。