1990年、家業である株式会社濃飛葬祭に入社。葬祭業を営む中で、日本で孤独死が増えているという実情を身をもって感じる。実際に利用者様に「鍵」を預けてもらえる訪問介護事業の存在を知り、孤独死を無くしたいという思いから 2005年7月有限会社 ケアサービスを起業。現在は地域で必要とされる企業になり、孤独死と介護難民を無くすために尽力している。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
私が家業である葬儀社を継いで勤めていた27歳の頃に、発症から1年経たずして母が癌で亡くなってしまいました。母に何も施すことができなかったという思いがありました。15年ほど前から、日本各地で孤独死が増えてきたというのが感じ取れるようになりました。ある時、仙台で訪問看護ステーションの経営をされている方に「自分が葬儀社なので孤独死が増加している実情を感じるのですが、どうでしょう」と相談したところ「訪問看護は、『鍵』を預けてもらっているので孤独死をしてしまう前にみなさんの家の中に入れるよ」と言われました。それを聞いた時に「これだ!」と思いました。訪問看護は、鍵を預けてもらうことができる唯一の職業だと聞いて、「葬儀社の前にやらないといけない」と奮い立ちました。
利用者様やご家族が持っている不安を、自分の持っている全ての能力を使い、安心に変え提供し続けていく事。それが、完全な仕事への原動力です。一緒に働く社員も、何のために仕事をしているのかを考えた時に立ち返る原点だと思っています。「自分の持っている全ての能力」というものは経験も実力も関係ないと思っていて、例えばベテランだからとか新人だとかは関係なく、その人が相手を思いあって行動することにこそ意味があると思っています。
「誰かを助けたい」「人を助けたい」という覚悟を持っています。実際に事業を始めた頃は、経験も資格もないですし、同業者やスタッフからバッシングを受けることもありました。一番はじめに何から行動したかというと自分たちのポスターを作って、地域の方々へポスティングすることから始めました。訪問介護は必要を迫られる場面にならないと、どんな施設があるかを知ってもらう機会は多くはありません。何か知ってもらう方法がないかと思って始めたのがポスティングです。正直ポスティングはめんどくさいですし、私もめんどくさいことは嫌いです。ただ、めんどくさいことは誰もやらないので、誰もやらないことを続けていたら自分たちが飛び抜けることができると思っています。それが社員にも浸透していけば他には真似できない組織になると思います。
目標があって、その目標に向かって全力で走れる人、なりたい姿を設計図のように描ける人は素晴らしいと思います。5年後10年後にこうなっていたいというビジョンを描き、それ通り向かっていける勇気があれば誰でも目標にたどり着けると思いますし、そんな人がかっこいいと思います。
訪問看護は絶対に地域に必要とされているということを感じています。地域の中で最終的には、「孤独死で亡くなる方を絶対につくりたくない」という思いと、「介護難民をつくりたくない」という思いを持ち、施設の運営を最低価格でやっています。訪問看護をする中で劣悪な環境で暮らしている方を目の当たりにすることがあります。その方達は、貧困が原因で引っ越すこともできません。その人たちを救いたいと思っています。世代が交代しても、経営者が変わってもこの思いは絶対に残していきたいと考えています。
この先のことを考えた時に、まだまだ日本も捨てたものではないと思います。少子高齢化で人口が減っていくという現状がありますが、何か事業ややりたいことにチャレンジした先には必要とされる場所では、必ず求められます。その中で、日本にはまだまだ素晴らしい原石がたくさんあると思っています。なので、自分で考えながら逃げずにやりたいことや目標に立ち向かってほしいと思います。
決算を終えて業績が良かったので自分へのご褒美で購入しました。目標を掲げ、それを達成できるような行動ができるように意識しています。
妻が社長に就任した時のお祝いでくれたボールペンです。家族にはいつも支えてもらっていて、感謝しています。