大学在学中に交換留学でアメリカ・アイオワ州コー大学に留学、大学卒業後、新卒で産経新聞社入社、編集局、新聞記者としてリクルート事件、オウム事件などを経験。フリーランスとなるが早稲田大学大学院に戻り法学修士号を取得。専門は民事法学、不法行為。その後、予備校講師に転向、15年以上高校生、高卒生を指導。2013年独立。「絶対合格」を合言葉に医学部専門予備校、エースメディカルみなとみらいを横浜に開校。
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常に周りに友人がいる子供でした。しかし13歳で新宿にある私立の中高一貫の男子校に通い出してから初めて「一人でいる」ことが多くなりました。自意識過剰だったせいでしょうか、周りに上手くとけ込めずイライラしていました。高3時には学校よりも予備校の自習室に行くことが多くなり、朝からこもって浪人生に混じって勉強していました。大学は第一志望の大学だったので楽しかったです。また友人に囲まれました。金銭上の理由でほぼ無料で留学できる交換留学生試験を受けました。運よく合格して一年をアメリカの田舎町の大学で過ごしました。派遣先の大学には前年度に留学したスーパースターの先輩の逸話が残っていて、いつも比較されました。初めのうちはコンプレックスばかりで、英語も話せず「一人でいる」ことが多く留学の意味さえ疑問になりました。しかし、いつの間にかアメリカ的な大らかさが身についていたのでしょう、後半は多くの友人に囲まれました。大学院に入ったときは、「ようやく学問ができる」と思いました。それまでは「勉強」大学院では「学問」、院生は学部生と使える図書館の場所が違ったりして研究者の端くれになったと思いました。学問には「一人」での作業と仲間とする作業があり、お互いが有機的に結びつかないと効果がありません。ここでも「一人」と「仲間、集団」とのかかわりを学びました。 「一人」で学び作業することは大切で自己を成長させますが限界もありますしストレスにもなります。逆に仲間といれば不安が減り、ある程度の客観性も持てます。しかし自分を見つめる機会がないと逆効果です。こうしたバランスに気が付いたのがこのころです。
大学を出てすぐに新聞社に入社しました。新聞記者として働いたのち、フリーライターになりましたが、専門分野がないことに悩み20代後半に大学院に戻ったのです。大学院時代には貯金もなくなり、近くの塾でアルバイトを始めたのです。そして生徒を教えるうちに、「育てる楽しさ」に興奮しました。彼らの人生の一部分を作ることに関われると思うと責任重大でやりがいを感じました。特に学校生活ではそれほどうまくいっていない生徒、目立たない生徒に塾では焦点を当てることで輝かせてあげることもできるという体験をするうち、この仕事の無限の広がりを感じました。マスコミにいたときは、私「個人」と読者である一般「大衆、集団」を意識しまし た、いかに皆にアピールできるかということです、しかし、教育の現場では私「個人」対生徒「個人」です。一人一人へ伝える影響力はより直接的でごまかせません。一人でいる生徒、悩んでいる生徒と信頼関係をつくり、集団、社会との橋渡しをするということです。塾で働くうちにマスコミにはもう魅力を感じなくなりました。そして接する生徒も、中学生、高校生、浪人生へと変わっていきました。より彼らの人生の岐路に立ちあう場面が増えたのです。
高校生を指導していたとき、プレッシャーに押しつぶされて精神的にダメージを受ける生徒を何人も見てきました。例えば、模試の終了後に思った点が取れず、椅子から立ち上がれず、そのまま救急車で運ばれてしまった生徒。「頭が重くてとれちゃう、先生助けて」と階段の踊り場で泣きながら斜めに立っていた生徒。人生でおそらく初めて大きなプレッシャーと「一人」で戦い続けていくうちに心が悲鳴を上げてしまったのだと思います。私たち講師は教科の指導だけでなく、もっとトータルなことができるのではないかと思いました。勉強は一人でするもの、しかし多くの人に支えられて生きていくものだから人生の一環として受験を見てほしい。受験の先を見てほしいと思っていました。彼らと話すとき、教科を超えた話をするときにも目をキラキラさせて話を聞いてくれる体験を何度もしました。そこに信頼関係が築かれると勉強が受け身でなくなるし、様々なプレッシャーも軽くできます。「あなたたちを見守って応援している人はたくさんいるから」という安心感を与えられれば受験はもっとうまくいくと確信しました。また、サラリーマン時代、周りの仲間や自分自身に対してさえ何度も失望しました。理想があるのにそれを断念してしまう。そしてベストも尽くさずに言い訳ばかりしてしまう。人のせいにしてしまう。そういったことをすべて終わりにしてすべて自分で責任を持って生きようと思ったのは、自分をごまかし続けて自分へのイライラが限界に達した時期だったと思います。今の職場でも依然と変わらす、体力的には疲れてしまうことが多いのですが、違う点は自分をごまかさないために必要な「心地よい疲れ」です。
一人でも多くの生徒と関わりたいと思います。受験に本気で取り組んでいる人を本気でサポートしたいと思っています。私たちの予備校は今年度開校しましたが、おかげさまで募集を締め切らせていただきました。責任を持てる限界の数まで生徒が来てくれたのです。一人でも多くの生徒がほしいという塾、予備校業界においてこのような事態は異例かもしれません。生徒募集の受付を停止したわけです。今いる生徒に私たちのベストを尽くすのが約束ですから。しかし反面、せっかく私たちの思いを受け取って一緒に頑張りたい、と思った人をお断りせざるを得なかったことも残念に思います。今後はスタッフと設備をもっと充実させて一人でも多くの受験生の役に立ちたいと思います。そして、受験のみならず社会に対して貢献できる良心のある医師の卵を育てたいと思います。
常に反骨と在野の精神を持ってほしいです。反骨には責任が伴います、在野にいれば弱者の視点に立てます。あなたは決して一人ではないし、本気なら誰かが見ているし助けてくれます。自分に正直にまっすぐに生きてほしい。そして生きていてよかったと思う社会を作りましょう。自分が社会や一緒に暮らす人たちに何ができるのかを考えて生きていってほしいです。私もがんばります皆さんもまっすぐ進んでください。
生徒との信頼関係のシートです。夏に600時間勉強しようという約束のシートで、勉強1時間ごとにシートを蛍光ペンで塗りつぶすのです。科目ごとに色分けしています。シートには気合の言葉やその日の出来事を書く生徒もいます。秋に達成した時は皆笑顔で、バックアップしてくれた家族と写真を撮った生徒もいます。
生徒からもらったメッセージブックです。高3の生徒たちから、私の独立前最後の授業でいただいたものです。生徒には独立することは秘密にしていたにもかかわらず、インターネットで情報を見付けたようです。勉強時間の合間をみて生徒皆で集まり心を込めて作っていてくれたことを知り、感動しました。一生に大事にしたい私の宝物です。