ヴィアトール学園洛星中学・高等学校。大阪医科大学(現:大阪医科薬科大学)医学部医学科を卒業後、平成15年京都大学小児科学教室に入局。近畿大学医学部奈良病院、彦根市立病院、京都大学医学部附属病院(大学院医学研究科発生発達医学講座発達小児科学 血液・腫瘍診療グループに所属)、三菱京都病院ほか大学およびその関連施設にて勤務、研鑽を積む。平成29年より公益財団法人日本生命済生会日本生命病院(救急診療センター兼務)での勤務を経て、令和元年に大阪市西区にあわざこどもクリニックを開院。地域の小児医療に全力を尽くす傍ら、NHKなど取材を通じての発信、心肺蘇生法の普及にも尽力している。
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小さい頃は本当によく病気をしていました。そんな時、しんどい自分を元気にしてくれる先生が身近にいてくださいました。何度か入院も経験しました。いつしか、大人になってどんな仕事につくかという話になった時には、自然と「小児科医になる」という気持ちになっていました。小学生の頃のことです。それから中学生、高校生となっても迷うことなく医学部へ、そして診療科を選択する場面でもやはり迷うことなく小児科を選び今に至っています。
今思えば自分自身、小学校高学年の頃に朝起きるのが辛かったり朝礼で倒れてしまったりしたことがあり起立性調節障害だったのかなと思っています。自分自身がしんどい時に親身になってくださった先生のように、今度は自分が同じように辛い思いをしている子どもたちの力になれるようになりたいと思うことが今の原動力になっていると思います。今の時代心の問題を抱える子どもたちも多く、一つの側面だけにとらわれることなく心と身体の両面から子どもたちとしっかり向き合っていくことが何よりも大切だと考えて診療を行っています。
まだ駆け出しの頃に年末に一人で当直をしていた時のこと、待合に独歩で重症の患児がやってきたことがありました。混雑していて状況の把握、トリアージに時間を要したものの、最優先で診療にあたり救命し得た症例でした。何が起こっているのか最初は皆目見当がつかないところから覚悟を決めて目の前の患児に全力で向き合った結果、現在につながる診療への自信にもつながったと思います。翌朝まで徹夜でお力添えをいただいた当科の先輩医師や他科の先生方にも今なお感謝の気持ちでいっぱいです。
どんな場面にあっても、冷静かつ的確な状況判断と周囲への指示伝達をできるスマートな人間でありたいと思っています。なかなか常にそうあることは難しいのですが、自らへの意識づけを日頃から少しずつでも行うことで少しずつ理想に近づけていければと思っています。
今後は地域で不足しているソース、具体的には病児保育などのニーズにも応えていくことができるよう、いただいた声にしっかりと耳を傾けながら、地域に必要としていただける医療機関であり続けられるよう努力していきたいと思っています。
若い人たちにはまだまだ自分も気づいていない未知の可能性があります。どのような業種であっても、躊躇せず可能なチャレンジは恐れずにしていただきたいと思います。自分がいつも言っているのは「ゼロはいくつかけても足してもゼロ」ということ。一度でも経験したことはそこから積み重ねていくことができるからです。今この瞬間にしかできないこと、留学などもそうですが、せっかくのチャンスを決して逃すことなく前へ前へと進んでください!
こちらは大阪の大動脈、御堂筋線を長きにわたり支えた10系車両の引退記念の鉄道模型となります。慣れ親しんだ車両の引退を惜しみつつ模型化されたことでいつまでも手元で当時に思いを馳せることができます。
こちらは2000年代前半に、ビジター球場での試合で使用された阪神タイガースのユニフォームとなります。個人的には星野監督の下で18年ぶりのリーグ優勝を果たしたこのユニフォームが一番のお気に入りです。