東海大学医学部卒業、同大学卒業後東京女子医科大学第二外科入局。釧路、大分の出張を経て、平成5年に立川中央病院に出張。その後同病院に就職し外科部長として治療に携わる。平成20年に立川に現在のまつもとクリニックを開院。働く人のため、女性のため、高齢者のために健康サポートをすることを目標に掲げ、現在日帰り手術として内痔核四段階注射法を中心とした肛門疾患、良性の乳腺疾患を行っている。女性外来の時間では乳がん検診や乳腺疾患の治療、肛門治療、更年期治療を行っており、女性の健康サポートを充実させている。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
医師になろうと思ったのは親が医師であったことが大きいと思います。本格的に医師になろうと思ったのは高校時代でした。東海大学に入学して医学を学んでいくうちに、自分の性格は外科向きであると感じました。卒後東海大学に残る道もありましたが、自分自身を厳しい環境におくほうがよいと考え、東京女子医科大学第二外科に入局しました。同科は一般外科、救急、消化器、小児外科、乳腺外科を行っており、現在の基礎ができたと思っております。数回の出張を繰り返して立川中央病院で働いているときに父が脳出血で倒れ、長野に近いということから同病院に就職いたしました。外科部長を務めておりましたが、社会的な事情で同病院を退職し、現在のまつもとクリニックを開業し院長として仕事をしています。
開業当時はあまり考えていませんでしたが、現在は自分にできることはすべて患者さんに与えられるようにしたいと思っております。医者である自分ができることは、患者さんが求めていることにこたえること。たとえば仕事で出張にいくことになっているが、痔の痛みで悩んでいるなどの場合の最善の治療を提案できるようにしたり、乳腺外来では乳がんの患者さんが忙しい病院の担当の先生に聞けないことをできる範囲で代わりに答えるようにしたりしています。開業医は患者側にできるだけ寄り添ってあげるのが本来の姿であるのではないかと思うからです。
仕事における覚悟の時と人生における覚悟の時があると思います。仕事における覚悟の時は医師になって4年目の時であったと思います。それまでは手術にしろ、診断にしろ上の先生の指示で行われていましたが、大分に出張した際に腹痛の患者さんが来られて自分が担当したときのことです。腹部所見では腹膜炎の所見を認めましたが、部位がどこかがはっきりしませんでした。そのことを上の先生にお話ししたときに、「状態はわかった。おまえは外科医であるから手術するかどうかをおまえが決めろ。俺は一切助言はしない。」といわれました。そのときにこの患者さんの一生は自分にかかっていることを改めて認識し、外科医はいつも患者に対して手術を決めるとき、または手術を行うときに覚悟が必要であることを教えられたと思います。また人生の覚悟の時は開業するときであったと思います。勤務医時代は医学のことだけを考えておけばよかったのが、社会に出たときにこんなに知らないことが沢山あったのかと呆然としました。自分のクリニックを生かすも殺すも自分次第と知り、それから現在までようやくこぎ着けた状態です。まだまだ勉強が足りないと感じているのが現状です。
自分はまだまだ未熟ものなので、端から見るとみんなカッコイイ大人に見えてきます。その中でも自分の夢を追っている人はカッコイイなあと感じることがあります。自分の生活、仕事のために自分自身を高めていける人そんな人に自分もなりたいと思っています。
外科しか知らなかった勤務時代と違い、開業は様々な知識を必要とします。そのため産業医、スポーツ医、訪問医を外科以外に経験することにより、日常診療に役立てることが多くなってきました。また、女性外来では乳がん検診を中心に行っておりましたが、女性外来に来る良性の乳腺疾患の方が多く、また、健診される年齢が月経前症候群や更年期の方が多いことから、現在では更年期治療を扱うことも多くなってきました。そのためにも自分の知識を増やさなくてはいけないので、現在様々な分野の講演会に積極的に参加しています。そして得た知識を自分のクリニックに悩んで来られる女性にサポートできればと考えております。
自分の時代では現代のようにマニュアルはありませんでした。外科の場合は上司の手術をみて技術を盗むことが多かった。また、パワハラは日常茶飯事で、できなければ仕事を干されたことが多かったと思います。今の若い人たちに言いたいことは、自分のしたいことができないとき、いやな仕事をしなくてはならないときもあるとは思います。そこであきらめることはもったいない。長い人生でそのときの経験は必ず生きることがあります。自分自身の今を見つめることも大事ですが、経験を積むこと、様々な勉強をすることに積極的になって下さい。そこから人生のヒントが生まれることがあるからです。
患者への説明、薬の情報、スケジュール管理、訪問時のメモなどに使用しております。大変重宝しています。
私が医師博士号をとった時にお祝いにいただいたものです。アスリートの方々同様、自分への金メダルとして大切にしています。