1952年台湾高雄市生まれ。昭和大学医学部卒業後、1986年に「せんげん台」医院を開院し、1990年に医療法人健身会を設立、理事長就任。2008年南越谷健身会クリニックを開院。日本内科学会認定医・日本東洋医学会専門医ほか多数の資格を持ち、西洋医学と東洋医学を融合した予防医学を提唱。一部から「健康博士」「予防医学の父」とも呼ばれることもあり、著書も多数刊行している。
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医者になるきっかけは、父親が医者であったことと祖父も台湾で医者をやっていた影響です。私も小さいころから父の医者としての働きぶりを見ている中で、父は患者様に愛されるコミュニケーションを取っていました。「良いな、羨ましいな」という想いになり、私も医者になりたいなと思うようになりました。
「医術は芸術なり」。つまり良い形を作っていく事が自分の医療における醍醐味です。芸術には心があります。より一層良くするためには設備を良くする必要があります。学問を追究をしていけば設備がさらに良くなります。医療においては良い道具が必要なので、良い道具を極めていく事も大切です。患者様の寿命と健康は私の芸術作品だと思っています。
何か社会貢献をすることが私にとっての覚悟です。医療貢献の中で、あるいは人々の健康の中で、本当の健康へと導いていければ良いなと思っています。医者になった以上は純粋に一生懸命頑張ろうという気持ちです。色々な分野や色々なレベルの先生がいらっしゃる中で、自分はいかに自分なりに目の前の患者様を良くするために幅広く深く追究していきます。
イキイキしていることが大切ですが、その中でも1番大切なことは「思いやり」だと思います。思いやる気持ちが人を喜ばせて、自分もイキイキしてきます。思いやりを持つということは余裕が無いと出来ないので、全て100%の完璧を求めすぎずに70~90%を目指すことが大切です。そして自分自身に余裕をもって、他の人に優しくすることがカッコいいです。
絆の大切さを伝えていきたいです。医療において3人の子どもが医者になり、後継者を育てることが出来たのは嬉しいです。良い医療をするためには後継者が必要です。後継者がいることで今の医療経営を崩さずに、そして発展させることに繋がります。自分も偉いわけではないので、常に学びながら今後も医療業界に貢献できればと思います。
「有難う」の世界に生きていこうということで、有るが存在することが難しい、この難しいことをたとえ自分のことでなくても文字のように非常に難しいことをやってくれたのでしっかり感謝する。感謝をすることでホルモンが良くなり、身体の健康も良くなっていくと考えています。是非若者の皆さんは感謝をしてください!
その日の気分で選ぶシャツに合わせてネクタイを決め、色彩で患者様の目を楽しませ安心感を高めています。診療姿勢や会話、身だしなみまでを診療の一部と捉え、良好な対人関係の構築に努めています。
帽子については、顔や体の一部を表すものとして、自分らしさを示す役割があると感じています。そのため、状況に合わせて身につけるようにしています。