1994年、三重県出身。中学校卒業後、建設業に飛び込み、足場工事に従事する。2015年にプラント鳶に転職し、コンビナートでの高所作業や重量物の据付・撤去を手がける。2020年に独立し、川又組として個人事業を開始。2023年に川又興業として法人化し、同社代表取締役に就任。
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私は中学生の頃、家を建てる大工だった父に憧れ、職人の道を志しました。小学生から真剣に取り組んでいたサッカー選手になる夢もありましたが、中学生の時に現実の厳しさを知り、建設業界への挑戦を決意しました。父からは反対されましたが、挑戦したい気持ちが勝り、中学卒業後すぐに建設業界に飛び込みました。厳しい環境の中で人とのつながりの大切さを学び、時には父の言葉に従えばよかったと後悔することもありましたが、兄が携わっていたコンビナートの仕事に可能性を感じ、特化企業が少ないことに着目し、この道を進もうと決意しました。
建設業界には「低学歴の人が就く仕事」というマイナスのイメージがありますが、私はその印象を変える存在でありたいと考えています。川又興業に関わってくれる全ての方に感謝し、言葉だけでなく形にして返すことを大切にしています。社員と積極的にコミュニケーションを取り、食事や待遇面での還元を行っています。また、変形労働制を導入し、1か月のスケジュールを事前に示すことで、働きやすい環境づくりに努めています。土日休みがないなどのイメージを払拭し、建設業界を盛り上げたいと考えています。
私の覚悟は、建設業界のイメージを変える先駆者になることです。個人事業主から始め、家族に「すぐ倒産する」と言われた悔しさをバネに、4年目に法人化を果たしました。現在は月40〜50人規模で現場を動かしており、社員や協力会社の方々を家族のように大切にしています。昔からある「きつい・汚い・危険・給料が安い」という業界イメージを払拭すべく、三重県内でも高水準の給与や年3回の賞与を実現し、働きやすい環境を整えています。若い世代が「建設業をやりたい」と思える業界づくりを目指しています。
私は「許す勇気」こそが、かっこいい大人の姿だと考え、日々の行動に生かすよう努めています。昔から怒ることは少ない反面、人からの悪態をなかなか許せない性格でした。しかし、尊敬する経営者の方からの言葉に価値観を大きく変えられました。「人は環境によって道を誤ることがある。自分に害があっても、それを学びとし、自分が関わることで相手の道を正す手助けができるなら、それも成長だ」という言葉に心を打たれました。
私は現在30歳ですが、40歳になるまでに常時100人規模が動く会社づくりを目指しています。そのためには、まず人としてリスペクトされる存在になることが必要だと考えています。「人生日々勉強」をモットーに、驕らず真摯に向き合えば、結果は後からついてくると信じています。社員が働きやすい環境づくりを第一に考え、挑戦する人を応援できる会社にしたいです。今後は三重だけでなく関東圏にも進出し、全国に認知される企業を目指して努力を続けてまいります。
今の時代は情報が多く、挑戦することが昔より簡単になった反面、迷いや不安も増えています。挑戦には周囲からのネガティブな声もあると思いますが、まずは一歩踏み出す勇気を持ってほしいです。成功でも失敗でも、すべては成長につながります。私は「好きなことを仕事にする」ことこそが、挑戦の原動力だと感じています。株式会社川又興業は、人間味を大切にする建設会社です。私たちと一緒に建設業界を盛り上げていきませんか?このページを見てくださったあなたとお会いできる日を心より楽しみにしております。どうぞお気軽にお問い合わせください。
通常は買うことができない希少な鞄ですが、ご縁があって、知人の紹介を通じて譲り受けることができました。人との繋がりによって出会えた、非常に貴重なアイテムです。
23歳の時に現場で一生懸命働いていた際に、お客様から名指しでもらった感謝状の形のクオカードです。初心に戻り、当時の感情を忘れないために日々財布に入れて持ち歩いています。