我が子を授かることを契機に保険会社営業職から転身し「子育て支援」「就学前教育」の活動を開始しました。と同時に実父がALS(筋萎縮側索硬化症)を発症します。日々できることが増えていく我が子の成長と、同時進行する日々できることが減っていく実父の介護に、一家族として関わる経験をしました。人が幸せに成長すること、幸せに生きることの意味をもとめて、以来一貫して「子育て支援」「就学前教育」の活動を続けています。
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我が子を授かることを契機に、門外漢から保育の世界に転身しました。当時はバブル経済の真只中で、「24時間働けますか」というエナジードリンクのCMコピーが流行っていた時代です。「子育て支援」「育メン」などという言葉は未だ市民権を得ていませんでした。デパートの玩具売り場で、サンプル玩具に興じる子どもと、それを手持無沙汰に眺めているお父さんたち。そこに暫くすると、買い物を終えたお母さんがご機嫌で戻ってくる様子をみて、子どもが楽しく興じる時間と場所を提供できれば、保護者にとってもゆとりある時間を持つことが出来るだろうと思ったのが構想のきっかけです。
人の好き嫌いの感情や趣向に、理屈はありません。大人と子どもであろうと、外国人と日本人であろうと、男と女であろうと、人と人が新たな価値を生み出すには「嫌い」と「嫌い」や「好き」と「嫌い」の組み合わせからでは良い反応は生まれません。多様な価値の中から「好き」と「好き」の組み合わせを発見するためには、根気強く深い対話を続けることが必要です。その環境をつくるのが私たちの仕事ですが、その環境をつくるには、私たち自身がその仕事が「好き」であること、これが前提条件です。大人も子どもも「好き」と「好き」を掛け合わせて、人と人がお互いに「自分らしい」新たな価値を創り出していけることが理想です。
正直、私には未だ覚悟と呼べる瞬間は体験していません。むしろこれからの人生、与えられてきた「当たり前」を手放し、孤独と向きあい、それでもなお前向きに生き抜くことができるのか、全く自信がありません。私にとって覚悟の瞬間は、孤独と向き合うとき、死と向き合うとき、そのときなのかもしれません。
誰との相対比較でもない、自分は自分、「自分らしさ」を貫いている人はカッコいいと憧れます。そういう意味では乳幼児さんの方が、大人よりカッコいいです。その純粋さ、自分らしさを貫ける大人は、柔軟だし、他者へも寛容です。往々にして大人になるにつれ「隣の芝」に気を奪われがちになりますが、自然体で、ぶれずに「自分らしさ」を持ち続けている大人はカッコいいですね。
活動を開始したバブル経済時代から30余年。子どもや子育てを取り巻く社会環境も大きく変わり、私自身も間もなく還暦となります。次世代の活動を担う経営層の育成や、現業の「就学前教育」「子育て支援」活動の質の向上・強化とともに、支える人を支える仕組みづくりにも今後は取り組んでいきます。野心ある若者に、どんどん参加してほしいです。
世界経済が金本位制から管理通貨制度に変わってからもうすぐ100年になります。その恩恵で医療・福祉・教育と世界は成長をしてきました。一方で、無限に信用創造できる通貨で取引される有限な地球資源とのバランスは崩れ、持てるものと持たざるものの格差拡大と固定化といった弊害も表出しています。そんな世界のなかで従業人口が急速に減少する日本が、旧来と同じ価値にしがみつく意味はあるのでしょうか?「好き」と「好き」を掛け合わせて、人と人がお互いに「自分らしい」新たな価値を創り出していくのは、まさに若者の皆さんが出来ること。自分軸で「好き」を掘り下げ、他の誰かの「好き」を支える、人と人が出会い支え合う、そんな未来を創り出すこと是非挑戦してほしいです。
ケンパ(保育施設)を初めて開所したときに使っていた児童用の掛け時計です。長針もなく壊れて動きませんが机の前に置いています。「初心」「感謝」を忘れないための「戒め」です。
起業する際に大学の同級生たちが贈ってくれたものです。起業当時の初心を忘れないようスマホ時代の今でも活用をしています。