1981年 広島大学医学部卒業。広島大学病院にて内科研修。1983年 広島大学第二内科入局。1987年 医学博士取得。1988年 米国University of South FloridaのProf.Robert Good(免疫学)のもとに留学。1990年 広島大学第二内科医員。1991年 広島大学第二内科助手。1995年 マツダ株式会社マツダ病院 呼吸器・アレルギー科部長。2003年 医療法人社団HARG広島アレルギー呼吸器クリニック(現,光町本院) 院長・理事長。2014年 現職。
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喘息治療薬の進歩により、喘息長期管理・コントロールが一段と良好となったことは異論のないところです。しかし、種々の調査で、医療者側が思っているよりはるかに多くの患者さんが残存症状を有しており、わが国の喘息治療・管理ガイドライン(JGL)の求めるコントロール良好とは言えない状況にあることも明らかとなっています。その背景として、どのような要因が考えられるでしょうか。患者さん側の要因としては、患者さんは自身の喘息状態を過小評価する傾向にあり、治療継続率や服薬アドヒアランスは医療者側が思っている以上に低いことがあげられます。医療者側の要因としては、患者さんの継続受診・治療にかかわるモチベーションを維持できる喘息病態の的確なモニタリングと説明が、レセプト審査からもたらされる検査制限や時間的要因もあり難しいということ、また、通常の診療時間内では年齢層が比較的若く社会的にアクティヴな方が多い喘息患者さんは受診できない、そのため足が遠のいて治療継続にいたらないということがあげられます。大学病院、市中一般病院で喘息診療に携わってきた立場で、これらの点が、JGLの喘息コントロール良好を達成するうえで大きな問題点であることを痛感していた私は、それなら自分で、少しでもこれらの問題点を解決できるようにしたいという思いで、2003年3月に広島アレルギー呼吸器クリニックを広島駅新幹線口である広島市東区光町に開院しました。
仕事前・仕事帰りの患者さんが少しでも治療継続が可能であるようにと、診療時間は朝8時から夜20時30分までとしました。病状把握・説明に十分とは言えないかもしれませんが、かなりの時間をとれるように原則予約制とし、喘息に特化した診療内容とするため自分の守備範囲を明確にしました。このスタイルで診療することについて、諸先生から、人口150万超の広島医療圏でやっていけるのかと言われましたが、「だめならそれまで」と意外とサッパリしていました。自分で言うのも烏滸がましいですが、喘息診療に燃えていました。また、そういった思いを患者さんに伝えるために、「私が喘息専門医になった理由(わけ)」という単行本も出版しました。また、専門性の維持・研鑽のため、かつ、ひとりよがりの臨床とならないように、単に参加するというだけでなく、自身の臨床データを発表する、論文として発信するという姿勢を維持することを自身に課しています。この姿勢がないと、単調な開業診療のみとなるような危惧を抱いたからです。さらに、近未来の喘息治療に接する機会として臨床治験にも積極的に参加するようにしています。こうした活動を通じて、全国の大学・市中病院・クリニックの諸先輩をはじめ皆様からご教示頂く機会に恵まれ、私自身、軌道修正ができていることを痛感していますし感謝しています。「喘息専門クリニック」というからには、種々のスタイルはあると思いますが、こういった理念と実践が必要であると考えていますし、この気持ちを、常に持ち続けることが、自分にとって頑張れる根源だと思っています。
より多くの患者さんのニーズに応えるため、利便性向上と診療枠拡大を目的として、2014年10月に広島市中区の中心部でビジネス街である八丁堀に分院を開設しました。前述したように、人口150万超規模しかない広島医療圏を考えると、「喘息専門クリニック」という形で規模を拡大することは、リスクも大きく、周囲からは反対されました。しかし、少しでも喘息実地臨床に貢献できれば、治療継続率UPにつながれば、という思いで決断しました。この時も、「喘息専門クリニック」という形で光町本院を開院した時と同様、「だめならそれまで」とキッパリ覚悟していました。光町本院・八丁堀分院とあわせて、広島エリアの喘息臨床に少しでも貢献できればこの上ない喜びです。
確固たる目標を持って、その目標達成のためという明確な目的のもと、すじを立てている大人が、カッコイイと思います。ただし、その気持ちが、前面に出すぎるとダメ。水面下では、死にそうなくらい頑張っていても、今にも沈みそうでも、水面上は、涼しい顔をしてスマートにたちまわることができなくてはなりません。人にどう思われるかなどは、どうでもいい。自分に自信をもって、生きることができる大人に憧れます。
まさに「喘息専門クリニック」を目指してクリニックを立ち上げた自分の考え、裏返せば、それは現在の喘息実地臨床の課題にもつながるという思い、そして、喘息専門クリニックだからこそ可能である実践的喘息臨床について、極めて行ければと思います。その中で、「喘息専門クリニック」として、現在、何が必要か、何が求められているのか、が浮き彫りになってくれれば幸いです。今回述べさせて頂いた気持ちが薄れてきたら、即、引退と決めています。自信はないけれど、今後も続く試行錯誤の道を歩んでいこうと、今回、決意を新たにしているところです。
不器用でもいいんです。確固たる目標を持って少しずつでも前進する気力がその人を決めると思います。自分の人生は、自己責任です。将来の夢もあり、可能性を秘めていますので、自らの夢を達成するためにその可能性をどんどん生かしていただきたいです。前向きなモチベーションを持ち続けて、自分自身を発展させてほしいですね。
家内が誕生日祝いにプレゼントしてくれたもので、カバー付き手帳です。自分のスケジュール管理には欠かせない存在です。この手帳に従って動いていると、自分の行動の背景での内助の功が分かります。
家内が誕生日祝いにプレゼントしてくれたものです。おしゃれですが機能的で、時間に追われて動いている自分にとってはなくてはならないものです。家内が応援してくれているような気になります。