私のカクゴ

マジーアゴールデンエイジサッカースクール 代表 其浦寛幸
そのうらひろゆき

其浦寛幸

北海道生まれO型
職業:マジーアゴールデンエイジサッカースクール 代表
趣味:旅行、ダイビング
座右の銘:運は天にあり

高校卒業後、ブラジルへサッカー留学。帰国後、様々な仕事をしながら資金を貯めて、ワーキングホリデーで一人旅をする。その後サッカー指導者専攻が新設された専門学校に入学。卒業後再びブラジルやスペイン、アルゼンチンなど海外育成機関の視察や研修を重ね、ジュニア年代のサッカーコーチとして下積み後、2011年独立。

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

小学生当時はJリーグも無く、現代の子供たちのように「将来プロサッカー選手になる」と言う発想もありませんでした。中学まではチームの主力で地区の選抜にも入っていましたが、高校に入ると県の選抜や県外の挑戦者、アンダーの日本代表選手もいて一軍には上がれず、悔しい想いをしました。高校卒業後にブラジルへ留学しましたが、最初は日本人ばかりのチームだったので「地球の裏側まで来てこの環境でいいのか」と悩み、代理人の紹介で「クルゼイロ」というチームのU20へ移籍しました。最初は全然使ってもらえなかったのですが、監督が石川県の高校に臨時コーチで呼ばれ日本が好きになって帰ってきたので、タッサ・サンパウロ(全国大会)の遠征メンバーに入ることができました。既にプロで活躍していたりU20ブラジル代表選手もおり、紅白戦ではそのレギュラー組とマッチアップをしていたので、同年代の世界レベルを実感しました。その後、夢は叶わず、サッカー指導者を育成する専門学校が名古屋に出来ることを知って仕事を続けながら卒業し指導者の道に入りました。

現在の仕事への想い

9歳から12歳頃の「ゴールデンエイジ」と言われる重要なタイミングを逃すと、その後どれだけ努力しようと報われないことを身をもって体験しました。やはり「ゴールデンエイジ」が全てです。特に小学校高学年の子どもたちには、所属チームの活動日以外にも質の高い練習をなるべく多く積み上げてもらいたいという想いで指導をさせてもらっています。

あなたにとって覚悟とは

中学3年生で高校を選択する際に、最初は地元の高校に願書を出したのですが、サッカー部の顧問だった先生に「お前は四中工へ行け」と言われました。ちょうどその高校が全国優勝した年だったので願書を出し直す時には、大きな覚悟をしました。ブラジルでより厳しい環境を求め、その年南米王者としてトヨタカップで来日する「クルゼイロEC」へ移籍した時にも、20歳までに結果を出せなければサッカーを辞めると覚悟を決めて日々取り組んでいました。

カッコイイ大人とは?

大人になってから数年ですが学ばせて頂いた空手の正道会館の先生やラテンダンスのキューバ人の先生が思い浮かびます。武道の精神や、本場から来日した先生方の技術だけではなく姿勢や内面から出てくる雰囲気、オーラが本当に特別でカッコ良かったですね。もしサッカーしかしていなければ、気付かなかったことは山ほどあって、素晴らしい先生たちから学んだことが今に活かされています。

今後の展望

若い頃、ナポレオン・ヒル・プログラムで成功哲学を学んだことがあるのですが、もう一度その原点に戻って「明確な目標を持つ」ことや「プラスアルファの努力」の大切さなどを私自身が学び直し、子どもたちにも伝えていきたいと思っています。また、今後のレッスンとしては、認知や判断を伴う難易度の高いテクニックとメンタルやフィジカルの要素を同時並行で鍛えるマルチタスクトレーニングを構築していきたいと考えています。

若者へのメッセージ

サッカーには「ホームとアウェイ」があるのですが「成長したい人」に限れば、「アウェイ」に挑戦してほしいと思います。「ホーム」とは「家」なので学生であれば、食事は出てくる、掃除や洗濯はされており「快適」です。「アウェイ」は「敵地とか遠い場所」であり「快適」ではありません。人間は「アウェイ・逆境」に置かれると、適応したり成長せざるを得ないスイッチが入ります。私の場合はブラジルで日本語を全く話さない期間がそんな状況でした。強くなりたい人は可能な限り、自らアウェイに身を置くことも必要だと思います。

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お気に入り

高校三年生の春、夢を諦めかけていた時に学校の図書室で出会いました。偉人たちのストーリーやメンタリティなどを知り、ブラジル留学を決めたきっかけになりました。

ナポレオンヒルプログラムの盾

二十歳を過ぎた頃、購入してしまいました。社会人としては車が買えるくらいの借金からスタートしたため、プログラムの内容以外にも、毎月定額を払う(貯める)習慣や、社会の怖さを学んだ教訓です。