北里大学医学部卒業。卒後昭和57年に京都府立医大産婦人科教室入局。昭和60年国立舞鶴病院(現舞鶴医療センター)に勤務。平成7年12月西舞鶴にて片山産婦人科開業。現在に至る。舞鶴にて1万人を越える出産に立ち会った。令和6年3月日本医師会赤ひげ功労賞受賞。
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父親が産婦人科医で、小さい時から父親の仕事を見ていたので、医師になろうと思いました。自分は心臓外科を目指していましたが、父親が私が大学生の時に亡くなり、母親が大学卒業前にお父さんが産婦人科医だったため産婦人科医になって欲しいと泣かれ、産婦人科医になりました。産婦人科医になってから判りましたが蛙の子は蛙だと思いました。
自分が取り上げた赤ちゃんは、将来オリンピックで金メダリストやノーベル賞受賞者になるように大事に産ませてあげたいと思っています。医療で高いパフォーマンスをあげるには非常に微かな警告信号も見逃さず、素早い断固たる対応が必要であると思っています。
自分が出張で舞鶴に来た時に、地域の母子は自分が守るのだと覚悟しました。この覚悟で38間働き1万人以上のお産を取り上げました。今は私の取り上げた赤ちゃんが立派な父親、母親になられてまた当院に来てもらっています。非常に感慨深いものがあります。
天才とは如何なる状況下においても努力が出来る人間である、と思います。常に勇敢で努力の出来る人間が格好いいと思います。理想に近づくためには焦らなくて良いです。小さな1歩で良いから毎日1歩ずつ前に進む気持ちがあればよいと思います。
私に出来ることは医師として産婦人科を続けることで有り、私の取り上げた赤ちゃんの立派な姿を見られたら良いなと思っています。自分の周りにいる人を大事にすること。人との繋がりを大切にすること。その人達はある時自分の大きな助けや支えになってくれます。妊娠分娩は神様が(神様がいるとしたら)女性に与えた人間が出来る最高の感動です。その感動をより良くより安全に味わって欲しい。これからも医師として、誠実に取り組んでまいります。
青春は振り返らずに走れ!です。志を持って一途に生きましょう。そして自分が達成できると思うことに限界を与えず、限界意識に挑戦しましょう。失敗を怖れてはいけないです。失敗は自分を成長させてくれます。最大の失敗は失敗から学ばないことです。
2008年(平成20年)にスコッティ・キャメロンに直接オーダーし、多くのパーパットを外し、数十回のバーディーパット、少しのイーグルパットを入れた私だけのワン・オフのパターです。
ペリカンの万年筆は少し硬くカリカリとした書き味なんですが、私はこのタッチが好きで、学生時代の講義ノートもこれで書いていました。もう5本目ぐらいですが今も愛用しております。