岡山県立笠岡商業高等学校卒業、国家公務員採用試験(税務)に合格、新卒で、広島国税局に採用、税務大学校広島研修所で1年3か月研修、呉税務署をはじめ、定年までに18税務署勤務、令和2年7月定年退職後、株式会社CONFIANCEを設立し、代表取締役に就任、同年8月、税理士登録して個人事務所で開業、同年9月、行政書士登録して個人事務所で開業、令和4年3月、税理士法人CONFIANCEを設立し、代表社員に就任、現在に至る。
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実家が農業で、消費者にモノが渡るまで2倍、3倍のお金がかかって消費者に届いていくことを知り、そこから経営に対して興味をもち、資金運用や、会社経営について独学しました。卒業後、税務署に勤め、主に徴収事務を担当しているなかで、滞納となる原因が納税者の知識不足であることを痛感していました。42年間、税務署で勤務をして、単なる税務関係を学ぶだけでなく、幅広い知識を蓄えることができました。定年退職後、自分の知識を少しでも多くの者に伝えていきたいと考え、コンサル業と税理士を開業することにしました。
事務所のシンボルである「信頼」を得るために、顧客の話をよく聞き、同じ目線で考えて適切な指導をしていくことを大切にしています。「信頼」をフランス語で「CONFIANCE」といいますので、社名に恥じないようにお客様目線で、お手伝いをできるように日々知識の向上のために勉強をかかさずしています。「中途半端」は嫌いなので、しっかりとお客様の目標などを伺いながら、様々な角度でお手伝いしています。時には自分だけで解決せず、専門の士業家方と連携をしています。答えは一つではないと思っているので、臨機応変に最適な解決方法をお伝えしています。いつかはできるでなく、今しかできないと心に刻んで顧客の対応に心がけています。それと同時に専門家だから上から目線でお話を進めるのではなく、同じ目線に立ってお話を聞くようにしています。
野球をすることで高校を選んだが、病気や人間関係で退部して希望をなくしていましたが、自宅と学校の距離が片道25キロもあり、往復4時間ほどを3年間自転車通学することで我慢強さが身についたことと、目標を持てば必ずできるという気持ちが持てました。その後も、いろんなことで挫折はありましたが、目標や希望を持っていれば必ず乗り越えられとその都度確信が持てるようになりました。そこで、一番感じたのは、どんな時も、特につらいと思うほど「笑顔」を絶やさないことが重要であると感じました。これは父から教わったことです。挫折や苦しい状態に陥ったときにはあえて笑顔でいることを意識しています。
自分の父親がやっぱりかっこいいと思います。農家だったので、真っ黒になりながら仕事をしている姿には、小さいながらもかっこいいなと感じていました。無口な性格の父ですが、どれだけ大変な時でも笑顔を絶やさない姿には憧れや安堵の気持ちを抱いていました。そんな大人は周りからも愛され自然と周りを明るくすると思います。そんな大人になっていきたいです。小さいことでもいいので、自分しかできないことを記録として残していければと思います。また、成功とか失敗を考えずに、とにかく挑戦していく姿勢をもつことが大事だと思います。
税理士事務所を軌道に乗せるとともに、後継者を育成していきたいと考えています。また、個人的には、農業や飲食業をはじめとした多種の事業の参画をしていき、出身地や顧客に還元していきたいと考えています。地元への恩返しということでいうと、地元をしっかり活性化していくためにも、何かしら事業を新しく展開していくなどして、貢献していきたいとも考えております。でもまだまだ先の話で、今は目の前の顧客様のために自己研鑽をし続け、税理士としての人間だけだなく、社会に貢献をしていきたいです。今後は後継者育成にも励みたいと思っているので、そのためにも顧客様へ信頼獲得し続けていくことが大事だと思っています。
人間は夢が必ず叶うと思います。仕事や生活面で思っていることは必ずできるので、夢や希望を必ず持ち続けていくことが重要であると思います。その気持ちを持ち続けると、自然に目標に対して必ず努力することになり、いずれは達成すると思います。そして、判断の岐路では、「決断」と「行動」が未来に対して重要でありと思います。
いつも笑顔を絶やすことなく、苦労している姿を見せなかった父親の形見であり、このコートを見るたびに父親のようになれるように、初心の気持ちを言い聞かせるアイテムです。
事務所の名前でもあることから、岡山県出身の書道家中塚翠涛さんに書いていただいたものです。仕事をする上では、必ず必要なことで見るたびに頑張ろうと思うことができるアイテムです。