1955年生まれ。1980年川崎医科大学を卒業。母校の外科で2年間の研修、福岡大学産婦人科で研修し、生命保険会社で診査医をしながら久留米大学産婦人科で学位を取得。1999年父の診療所を継承し福岡県柳川市で無床診療所医療法人いくしま医院を開業。現在理事長。デイサービス、グループホーム、小規模多機能施設、住宅型有料老人ホームを運営している。著書「漢方薬と精神分析」(たにぐち書店)。「手相と漢方」(幻冬舎)。
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父がやっていた産婦人科の診療所を継承しました。その当時、生命保険会社で保険に加入したいという人の診察をするという仕事をしていました。当時はまだどうにか階段を上れるほどの体力はありましたが、進行する病気と今後のことを考え、父が引退をほのめかしたときに診療所の継承を申し出ました。父はたくさんの内服薬と注射という古典的なスタイルの医師でしたが、私はそれを時代遅れと感じていました。西洋医学の10種類の薬が漢方薬1種類にまで減らすことができ、注射もする必要がなくなりました。次第に漢方薬のすばらしさに引き込まれていきました。
今まで変わり者と言われ続けてきて、自分が変わり者でなければならない理由がやっとわかってきました。常識的な治療では治らない患者を相手にしていると、非常識な手段が必要になることがわかります。精神科医でもなく漢方専門医でもない医師が、誰よりも精神疾患に精通し、誰よりも漢方医らしい仕事をしていることに誇りさえ感じています。患者を早く治し、患者が自立して生きていけるように支えるということは簡単なことではありませんが、やりがいはあります。
最初の著作「漢方薬と精神分析」を自費出版した時、不安でたまりませんでした。五臓論とエゴグラムの対比は、それまでも何人かの先人によって披露されてきた話題でした。それは古典的医学と最新医学の出会いでもありました。「東洋医学が見てきたものと西洋医学が扱ってきたものは同じものだ」という認識と共に「漢方の診察は患者の潜在意識との対話だ」と大風呂敷を広げてしまって、漢方や東洋医学の世界から爪はじきされるのではないかと不安になってしまいました。そこで他人の批判を気にしながらコソコソ生きていくのはやめようと決心しました。日本の主だった漢方医約30名に著書を送り付け、その批判の矢面に立つ覚悟をしました。
負けると分かっていても自分の信念を曲げずに最後まで戦って潔く死ねる人。自分らしく生きるとはどういうことか、いつも考えています。他人からの評価を気にして、自分の信念を曲げたり、言いたいことも言わなかったりするような人にはなりたくありません。自分の直感を信じて、わくわくするような仕事をしたいと思っています。常識と言われるようなことに疑問を持ち「こうでなくてはならない」と言う世間に「そうでなくてもよい」と自分の思考や行動を規制しない自由な生き方をしていこうと思います。突拍子もないことを言っているという自覚はありますが、それが真実ならいいでしょう。「医者が手相を見て何が悪い」といつも言っています。
思い通りに動かない身体になって、思い通りにならないことを辛いと考えるのはやめることにしました。たとえばキャンプは自分で簡易な家を組み立て、飯盒で飯を炊き、窮屈で寒いところで寝ます。ちょっとした工夫をしたりします。しかしそれが非日常的で楽しいですね。キャンプは不自由さを楽しむ大人の遊びなんだと思います。自分が生きていくうえで、他人の手を借りなければならないことも多いですが、自分もこの不自由な体を楽しめばいいと思うようになりました。だから人に憐れんでもらったり、同情されたりすると「こいつわかってないな」と思うのです。この身体だからこそ気づくことがたくさんありました。
失敗を恐れないでほしい。失敗を糧に前向きに成功へ導くことがポイントであって、一代で大金持ちになった人で、最初から成功していることは少ないですね。ウォルトディズニーは新聞社を解雇されたり、3回破産したりしています。最初から100点満点を取ろうとしないでほしい。回り道をしてもそれを楽しめばいいと思います。失敗がたくさんあった方が人生は面白いですよ。まっすぐな道を、時速300㎞で駆け抜けるよりは、曲がりくねった道を、時間をかけ、汗水たらしながら、道端の花を愛で、風を感じ、木や小川と会話し、寄り道しながら行くのは本当に楽しいですしね。
何といっても切れ味の良さ。ベルヌーイカーブ刃と呼ばれる、対象物をしっかりとつかまえるために適した刃角度(約30°)をキープする湾曲した刃先を使って切ることで、さまざまなものを根元から刃先まで軽い力で切ることができます。
腹診をするのに手が冷たいと患者に申し訳がないと思って購入しました。使い捨てではなく、必要ない時はスイッチを切れますし、温度調整もできます。