高校卒業後大学進学に向け2浪。大学進学を諦めアルバイト生活で資金を作り渡英。現地の語学学校に1年通い、South Devon Collegeに入学、2年間Sports&Tourism課でSports Managementを学び帰国。都内のイベント企画制作会社に入社、日本相撲協会に8年間嘱託職員として地方巡業のプロデュースに。その後広告代理店やTV局とのイベント業務に従事し、2009年に退社。同年に家業の在宅介護保険サービス事業を展開する株式会社ぷりまに入社。同時に3年間夜学の専門学校に進学、卒業後、理学療法士の資格を取得。その後、2013年新社屋を竣工し2018年に代表取締役就任、現在に至る。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
株式会社ぷりまは私の母親が立ち上げた家業です。1990年設立で今年で34年の会社になりますが、2000年に介護保険サービス事業に参入してからはこの事業がメインです。30歳代から家業を継ぐようになんとなく促されていましたが、40歳を迎える年に抱えていたプロジェクトがひと段落したので、今まで好きなことを好き勝手にやらしてもらってきたから、これからは人生半分終わったことだし、人様の役に立つような仕事に就いて社会貢献しても良いと思い家業を継ぐ決心をしました。
弊社の社是、社訓にもあるように高齢者の今までの全てを受け入れて敬意、感謝を忘れないということが事業を行う上での最も大事にしていることです。昨今の世界情勢の様々な問題をよそに日本でこんなにも安全に平々凡々と生活できる環境を創出してくださったのは間違いなく今の高齢者の方々のおかげです。我々はそのことに感謝をしながら恩返しをしていかなければなりません。
人生の転換期は2度ありました。1度目は大学進学を諦めた時です。あくまでも自分の尺度でしかありませんが、大学に行けなったことで自分は敗者だと決めました。ただ、敗者は敗者なりにやれることがある。敗者が少しでも勝者に近づくために何が必要か。そう考えた時に語学をマスターしてそれを武器に何かできないか考えました。それが渡英した理由であり、敗者の中のトップになるための試練だったと思います。2度目は代表取締役に就任した時です。単純に、自分の身が滅んで、全財産が無くなっても全社員を守らなければならないという決意と覚悟です。
見た目、考え方、理念が大事だと思います。私は特別なことはありません。私には無いことで言うならば、自然と人が集まってくる人です。そんな人がカッコイイと思います。常に平常心で裏表が無く、人の悪口や陰口を言わない、常に先を読んで行動する。私が常に社員にいうことは、仕事ができるできないは「気が利くか、利かないかが全て」ということです。それが、「気配り、目配り、心配り」です。
介護事業全体の問題として介護人材不足がこの先も続いて行きます。国が定める介護報酬が大きく改善されない中、少しでもサービスの質の低下や慢心があれば介護事業所も淘汰されていくことでしょう。そんな中、弊社独自の特色を社員皆で考えて、ぷりまで働きたいと思ってもらえるような企業に成長して行きたいと思います。この地域になくてはならない存在になることが最大の目標です。その先はまた色々と構想がありますが一つ一つクリアできればと思っています。
あくまでも私個人の見解ですが、若者はよく言えば合理的で悪く言えば忍耐力がないという印象です。自分の価値を評価してくれるところに自分を売り込む、それを繰り返してキャリアアップしていくスタイル、悪くないと思います。ただ、一つのことを極める。これはこれでとても価値のあることだと思います。「継続は力なり」ですから少し頑張ってみて欲しい思いもあります。それから、私は体育会系なので根性論がいまだに抜けきれないので気合いだとか努力が足りないとか悪いと思いながらもその考えが見え隠れする場面があります。でも、それで自分自身成長できた部分があったことは否定できません。人は一人では生きていけませんし、まして会社に所属して組織の中で仕事をして行く上ではやっぱり仲間や人脈は大事だと思います。ほとんど死語ですが、「義理と人情」も時には大事です。
渡英期間に自身が所属していた野球チームが優勝したことで地元の新聞で紹介されたものです。 最弱だった野球チームが優勝したことで当時話題になっておりました。
確か帰国後に初任給で買ったただのペンです。全く高価なものではなく、形が面白くて意外と持ちやすく、書きやすいので替芯を購入して使い続けています。かれこれ30年近い付き合いです。