私のカクゴ

平木国際特許事務所 所長弁理士 平木祐輔
ひらきゆうすけ

平木祐輔

京都府生まれAB型
職業:平木国際特許事務所 所長弁理士
趣味:読書、囲碁、カラオケ、散歩
座右の銘:好況よし、不況もまたよし

1961年京都大学農学部農林生物学科卒業。新卒にて特許庁入庁、1984年まで勤務。その間、審査官、審判官、審査長、審判長を歴任。主として農林水産分野の動植物及び関連機器並びにバイオテクノロジーに関する発明の審査や審査基準作成を担当。1984年平木国際特許事務所開設。開業後、バイオテクノロジー関係の各種委員就任、講演、著作等多数。

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来歴

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幼少期~学生時代

第二次世界大戦末期、私は小学校5年生でした。その頃は人生に対してこれという目標はもっていなかったように思います。ただ、終戦直前に職業軍人であった父親が戦死した上、戦後、占領軍により軍人恩給も停止されました。このことで生活は困窮を極め、ついには肺結核になってしまいました。4年間の療養後は工業学校に復学し、卒業とともに就職を目指しましたが採用してくれる企業は皆無でした。

現在の道へ進んだきっかけ

生活費のためにバイトをしつつ、やっと大学の農学部農林生物学科を卒業したものの、結核の病歴がある私の健康面が不安視され、農林省(現、農水省)を不採用とになってしまいました。結局、思ってもみなかった特許庁の農水産課に特許庁審査官として採用されましたが、それが「特許」と出会うきっかけでした。

覚悟の瞬間

第一は大学卒業後、特許庁審査官として働く道を選んだことです。農林省(現、農水省)を目指していたにも関わらず、健康上の理由で不採用となり、やむなく選んだ思いがけない道でした。当時の日本特許庁は植物を含む生物発明には一切特許を付与していませんでしたが、私や仲間達は「特許付与」を目指して頑張り続けました。その後、内外情勢の変化もあって日本でも植物特許が認められるようになり、私は植物特許に関する貴重な知見を得ることができたのです。第二は、その植物特許の知見等を財産に、退職勧奨前に特許庁を退職、独立して弁理士を開業したことです。家族、親戚全員の反対を押し切っての決断でした。

今後の目標

私が幾多の困難を乗り越え今日まで頑張ってこられたのは、ただひたすら前を見てコツコツと進んできたためだと思っています。また、広い国土も資源もない日本の発展には、特許を含む知的財産が必要不可欠なものと信じて、特許庁時代~弁理士時代を通して、特許の世界に携わってきたこともあろうかと思います。長く続く平成の大不況下で、お客様が特許に求めるものもおのずと変わってきていますが、時代のニーズに応じたアプローチをすることによって既存のお客様は勿論、今までにない新たな顧客層も開拓していきたいと考えています。

日本のアカルイ未来のために

不況の影響で、特許業界も大変厳しい状況が続いています。そんな中でも弊事務所は、所員一人一人の努力と工夫で日々奮闘し、お陰様でお客様のご愛顧を頂いています。ある意味、不況という試練が「努力と工夫」の源になっているのかもしれません。これからの日本を背負う若い皆さんも試練を恐れず、敢えてそれに飛び込んでいくくらいの気概をもって欲しいと思います。そして、その体験を通じて今までとは異なったわが国の発展のあり方を見つけ、「幸せ大国日本」を実現させてもらいたいと思います。

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何の変哲もない手帳です。システム手帳や電子手帳、スマートフォンなどスケジュールや情報の管理ツールは多種多様ですが、私は長年この薄っぺらい手帳を愛用しています。スケジュールから重要な懸案事項や思いついたアイデアまで全てを書き込んでいます。財布や携帯電話以上に「無くしたら困るモノ」です。

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碁石のセットです。長年仕事一筋でやってきましたが、囲碁は唯一と言ってもいい長年打ち込んだ趣味です。アマチュア4段という段位を持っています。この碁石は当事務所の創立20周年の折、立派な足付碁盤とセットで所員一同で私にプレゼントしてくれました。大切な私の宝物です。