私のカクゴ

弁護士(元農林水産大臣) 山田正彦
やまだまさひこ

山田正彦

長崎県生まれO型
職業:弁護士(元農林水産大臣)
趣味:執筆活動
座右の銘:至誠通天

早稲田大学第一法学部卒業。司法試験合格後に、五島で「牧場」を経営。オイルショックの影響で牧場経営を挫折。その後、弁護士事務所を開業し中小企業の借金問題、サラ金問題に取り組み、暴力金融と徹底的に闘う。4度目の挑戦で衆議院議員に当選。平成23年農林水産大臣に就任。宮崎県で猛威をふるった口蹄疫では、現場の最高責任者として封鎖にあたる。 大臣退任後、「TPPを慎重に考える会」の会長を務め、現在「TPPを考える国民会議」の副代表として全国的に活動中。

オフィシャルブログ

来歴

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幼少~学生時代

五島列島の豊な大自然の中で育ちました。高校時代に恩師と出会う事もあり、その後早稲田大学第一法学部を卒業しました。学生時代は故松園尚巳ヤクルトオーナーの下で書生をつとめていました。「早稲田キャンパス新聞」を創刊したり、書生をやめて地下鉄工事や皿洗い、ボイラーマンなどをしながらの苦学でした。

現在の道へ進んだきっかけ

昭和47年牧場を設立しました。日本の食肉基地としての「大牧場」を志していましたが、第一次オイルショックで、牛の値段が一夜にして半分以下に下落してしまい、餌が2倍に高騰してしまいました。出荷を目前にした牧場経営で大打撃を受け、牧場は売却をしました。水産に生涯を捧げた人物である故田口長治郎(元衆議院議員)に出会いました。「生きているあかしに地球上に小さな痕跡を残したい。」という話に感動し、政治家を勧められました。同年、衆議院選挙に挑戦し、選挙中、「沿岸各国漁業機関を作って、東シナ海を海洋牧場にしよう」との公約を揚げていました。

覚悟の瞬間

小沢一郎という100年に一度の政治家との出会い、農林水産大臣となりました。念願であった農家の戸別所得補償を実現しました。宮崎の口蹄疫で現場の最高責任者として、前例のないワクチン接種を決断し、TPP交渉参加を水面下で進めようとする当時の政府と民主党の執行部に対して徹底抗戦し、若手の議員と共に官邸へ乗り込もうとしたことです。亀井静香とたった二人で立ち上げた新党です。

今後の目標

私の生まれ故郷の五島では、多くの若い人が心ならずも島を離れています。日本中のどの田舎でも同じです。私は、若い人が故郷を離れずに済む、もしくは再び地方に若い人達が帰って来れる世の中にしたいです。日本は新自由主義的な弱肉強食の社会ではなく、助け合い、支え合いの福祉国家を目指すべきです。政治とは「立場の弱い人のためにある」という私の信念を貫き、格差是正、日本の宝である自然環境の保全、農林漁業者や生活者の視点に立った政策を実現することです。

日本のアカルイ未来のために

私は29歳で牧場を設立し、経営に失敗し、弁護士として活動した後、37歳の若さでいきなり国政選挙へ挑戦しました。その後、3回連続落選し、ようやく4回目で当選したときにはもう50歳を超えておりました。そこから5期国会議員を務めさせていただき、大臣にまでなることができました。そして、長年にわたり主張してきた様々な政策を実現することができました。最後まであきらめずに、信念を持ち努力し続ければ、夢はカタチになります。

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お気に入り

ノートパソコン

全国的な活動をしていて、移動が多い。飛行機や船、新幹線などでこのパソコンを使い執筆活動をしています。これまでに20冊近く本を出版し、国会議員では珍しく小説まで書き上げ、日本ペンクラブの会員でもあります。また、日々の出来事や感じたことをブログで発信するのが日課です。私にとって、欠かせないアイテムです。

バッジ

TPPを慎重に考える会の会長をしていた頃、政府やメディアから明かされてないTPPの真実について、国民的議論をおこすため、志を同じくする多くの仲間と共にTPPを考える国民会議を立ち上げました。その当時から今に至るまで欠かす事なく胸に付けているのが、このNO!TPPバッジです。私のポリシーそのものです。