私のカクゴ

プロゴルファー 芹澤信雄
せりざわのぶお

芹澤信雄

東京都生まれAB型
職業:プロゴルファー
趣味:車
座右の銘:いつまでもあると思うな人気と仕事

御殿場西高校卒業、1982年プロ入り、1987年『日経カップ』初優勝、1991年ワールドカップ日本代表に選ばれる、2010年シニアツアー参戦、同年の『富士フィルムシニアチャンピオンシップ』シニア初優勝。現在はレギュラーツアーとシニアツアーにて参戦中。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少~学生時代

両親はクリーニング屋の自営業をしており、男三人兄弟の末っ子でした。兄二人が年子でいたので男三人のにぎやかした家庭でした。子どもの頃から運動神経は良かったですね。ソフトボールも得意でしたし、家の前に田んぼがあったのでそこでスケートをしたりと、さまざまな事をやっていました。兄の真似をしようとする=負けたくない気持ちになってきて、体は一番小さかったですけどスポーツでは三人の中で一番良かったですね。子どもの頃の夢がプロスキーヤーになりたくて、ワールドカップやオリンピックに出たいと思った事もありますし、体を動かすことが好きでいつも動き回っていました。

プロゴルファーの道へ進んだきっかけ

高校時代、スキーの資金を得るためにゴルフ場でバイトしていました。日曜日や夏休みはずっとキャディとしてバイトしていました。スキーの為にキャディをしていたのでゴルフをやる気にはならずゴルフはおじさんのスポーツだと思っていたのでひたすらバイトしてお金を貯めて、冬になるとスキーの板を買い、合宿していたのがゴルフとの出会いですね。高校3年の夏、スキーのために大学進学を志望したものの両親に反対をされてしまいました。大学は諦めて自分はスキー関係の仕事に就こうと思った時に、高校1年の頃から可愛がってくださっていたプロゴルファーに声をかけていただきました。ゴルフを経験してみると、「思ったよりも難しいが意外と面白い!」と思い、真剣に考え始めました。ゴルフ場へ研修生として入社し、22歳の春プロテストに合格しました。

覚悟の瞬間

肩の手術を決意した時が覚悟の瞬間ですね。スポーツ選手にとっては、一生を左右する出来事です。42歳の時に肩が痛み始めて病院に行きました。その後、肩に針を打つと少し動くようになりましたがシニアまで続けたいと思っていたので、2007年に手術をしました。万が一失敗したら辞めようと思っていたので、成功して本当に嬉しかったです。ゴルフの競技自体も一打一打、覚悟の連続ですね。自分との対決です。人のせいにできないので、常に自分の中での覚悟が競技を左右してると思います。後悔だけはしたくないので、自分の思った事だけをしようと考えてます。プロになって30年経ちますが、今でも打つ前はドキドキしていますし、年をとればとる程、責任感やプレッシャーを感じています。

今後の目標

シニア賞金王を獲ることが目標です。ここ5年がチャンスだと思います。現役でずっと頑張り続けることが要だと思っていますね。プレースタイルは昔から落ち着きがありませんでしたが、ドキドキして見えるというので好感を得たと思います。ゴルフは個人スポーツで自分がやったことを人のせいにできません。ポジティブに考えてミスしても笑顔で常に楽しそうにやっているプレイヤーだと分析しています。気持ちの切り替えができなかったら、今まで続けられなかったことでしょう。

日本のアカルイ未来のために

プロになって30年が経ちますが、プロを目指す時には「お前は無理だ」と全員に言われました。自分の目標に向かって一生懸命努力した結果、30年間プロという生活ができてます。皆さんも周りに左右されず、自分の目標をしっかり持って一歩一歩進めばきっといい未来が待っているでしょう。ぜひ、頑張ってください。

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お気に入り

かばん

藤田プロ、宮本プロより50歳の誕生日プレゼントとしていただきました。エルメスのカバンは普通女性ものが多いのでびっくりしました。

腕時計

契約しているスポンサー以外で買えるのが時計と車です。車はさすがに持ち歩けないので、時計をチョイスしました。私は、時計が好きでコルムの時計が気に入っています。