1995年、K-1 REVENGE2でパトリック・スミスから2R KOにより、衝撃デビュー。K-1 GRAND PRIX'96で唯一の日本人として出場、ベスト4に進出する。K-1 WORLD GP 2003, 2004での準優勝の記録などさまざまな偉業を成し遂げる。2009年8月、惜しまれつつ引退を表明。実弟でありキックボクサーTOMOと株式会社パウンド・フォー・パウンドを設立。
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今と違って実は体が大きくありませんでした。マンガ家になりたくて絵ばかり描いていた幼少期だったように思います。ホラーが大好きで、友人の間でホラー部を作り、友人の家に集まってホラーをよく見ていました。調子乗りな性格で、体を動かす事も好きだったので、やんちゃな少年時代でした。頼られるヤツはかっこいい!、いざという時に頼ってもらえるような存在になりたいという思いはありました。
もともと体を動かすのが好きでした。ジャッキー・チェンの映画を見て体を鍛えてアクションスターになろうと思いました。正道会館の空手の練習を見に行った時に、大きい人がボコボコに殴り合っているのを見て、「これをやろう!」と決めました。K-1との出会いは、横浜での大会にスタッフとして参加した際に、先輩がものすごい声援を受けているのを目の当たりにして、「自分もこうなりたい。これを仕事にしよう。」と思ったことがきっかけでした。
正道会館で最初に先輩と相手をして、2発でやられてしまいました。その時の悔しい思いから「ここで絶対に1番になる!」と決めました。そこからとにかく練習に励みました。センスがあったわけでもなかったですし、練習も努力という感覚ではなく、好きでのめりこんでいったという方が正しいでしょう。
2003年、2004年のK-1 GP決勝戦です。この経験から、信念を持って突き進めば必ず人は認めてもらえると思いました。
自分がカッコイイと思った事には挑戦したい!!一個人の武蔵としていろんな事に挑戦していきたいと思います。
バイクに乗っているのですが、やはりシルバーの小物はたくさん持っています。この時計もその1つなのですが、バイク自体もそうですしバイク乗りの文化・音楽やファッションなど、そういったカルチャーにすごくひかれます。
知人の外国人がデザインしているシルバーショップのもの。ドクロのデザインのものが大好きです。目などがワニ革になっています。