新潟高等学校卒業。新潟大学医学部卒業。新潟県立新発田病院で初期研修、新潟市民病院救急科で後期研修後、横浜市立みなと赤十字病院救急科(集中治療部)で勤務。救急専門医・集中治療専門医を取得後、新潟県に戻り中核・拠点病院で勤務。令和6年11月できじまクリニックを開院、現在に至る。
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私が高校生の頃、親族が亡くなった時に「どうして自分は何もできないのだろう…」と歯がゆい思いをしました。医療に漠然とした興味を持っていたこともあり、これを機に医学部をめざす決意をしました。「なんでも対応できる医師になりたい」という思いから、救急科の道を選択しました。
救急医としての勤務は毎日忙しく大変でしたが、その分やりがいも大きく、どれだけつらい状況でも「辞めたい」と思ったことは一度もありませんでした。そんな経験から、医師という仕事は自分にとっての天職だと感じています。開業後は、「より幅広く、より身近に」をモットーに、どんな症状にも対応できる地域のかかりつけ医として、身近で信頼される存在になり、地域医療に貢献していきたいと考えています。
今回の開業は、これまでの人生の中で最も大きな覚悟をもって臨んだ挑戦だと思っています。それまでは、主に自分自身のスキル向上を目的とした医学の勉強が中心でしたが、次第に後輩の育成や医療経営にも興味を持ち始めました。ちょうどその頃、先輩医師からの助言もあり、医学以外の分野「育成論」「経営学」「自己啓発」などの書籍に触れる機会が増えていきました。その過程で出会ったのが「孫子」です。専門としていた救急・集中治療の現場では、直感的な判断が求められる場面もあれば、じっくりと分析しながら病態を推定し、悪化を防ぐために踏ん張るような場面もあります。当初はビジネス書として「孫子」を読み始めたのですが、その戦略・戦術論は、自分の診療スタンスにも通じるものがありました。説明の仕方や順序、リーダーとしての在り方など、多くの学びがあり、人として、そして医師として成長する大きなきっかけになったと感じています。
今の自分に決して満足することなく、成果をアピールするわけでもなく淡々と次の目標に向かって進み続けているプレーヤー。その上で、全体がうまくいくような潤滑剤の役割を果たしているリーダー(監督)。そんな「プレーヤーとして一流」であり「リーダー・監督としても一流」である人に憧れます。私はまだ、他人からの評価を気にしている上に、何かを極めているわけでもない。プレーヤーとしてもリーダー(経営者)としても平凡です。今は「結果として示すこと」が必要だと感じます。
1つは当院のような総合診療クリニックが増えたらいいと思っています。医療は変革の時代を迎えようとしており、開業医もこれまで以上に幅広い範囲への対応が求められます。救急医療も大変な状況ではありますが、「救急医の地域貢献の新たな形の1つ」として伝わることを願っています。もう1つは「育児等で就職・勤務に難渋・制限がある方々が不安なく働ける環境を作ること」です。救急・集中治療科は他科に比べてシフト制が多く、育短の方が勤務しやすい面もあります。しかし、子どもの突然の体調不良で早退することもあるために常勤者への負担を感じていることや、そもそも働きたくても採用されにくいことが医師以外の職種でも多くあります。このような育児世代の方々をスタッフ同士で支え合える職場でありたいと考えています。
私自身まだなにか結果を残しているわけではないので大それたことは言えませんが、これまでに「あー、こうしておけばよかった」「こんな失敗がなければ」と思う出来事は数えきれません。でも、そのおかげで今の私、家族がいる。これってすごい奇跡だと思いませんか?それに、過去の出来事そのものを変えることはできなくとも、これからの自分次第でその出来事があってこそ!に変えることはできます。これからいろんな経験をするチャンスがあるみなさんにも、過去にとらわれずに、その経験をどう活かすか、そのために何ができるか、とこれからに目を向けてもらえたらと思います。
やりたいことを実現、継続するためには、当たり前だけど負けないこと、潰れないことが大事。そのための考え方が詰まっている本です。
自己啓発本で有名すぎる本ですから、私が紹介するまでもなさそうですが、開業医は特に人柄を見られます。自分を省みる際に、この本を愛用しています。