慶應義塾大学医学部卒業。慶應義塾大学医学部精神神経科学教室入局。財団法人精神医学研究所付属東京武蔵野病院勤務。医療法人真愛会髙宮病院勤務、医療法人真愛会髙宮病院理事長就任、社団法人宮崎県精神科病院協会会長就任、公益社団法人日本精神科病院協会常務理事就任、平成30年NPO法人宮崎いのちの電話設立、事務局長就任。
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平成29年5月の日本精神科病院協会常務理事会の休憩中に隣席の常務理事から「宮崎県は自殺が多いのに、いのちの電話のない数少ない県ですね」と言われました。しかし、私は宮崎県精神科病院協会会長として宮崎県の自殺対策協議会に出席した際、電話相談団体の意見を聴いたことがあったのでおかしいと思って調べたら、その団体は20~23時までしか活動していませんでした。つらくなったり、きつくなったりする深夜~明け方には宮崎県以外の電話に頼むしかないということが判明したので、これは改善すべきだと思いました。
電話相談という無償のボランティアはすごいことだと思います。その精神は尊重するしかありませんが、すべてをボランティアに委ねていいのかは疑問です。例えば相談室に通う交通費はどうでしょう。県の中央部にあることが多い相談室にJRで片道2,000円かけてやってくる人は月に2回でも8,000円、3回なら12,000円かけてやってくることになります。せめて交通費は出したいと思いました。また相談室を安全でより快適な環境に保つことができれば相談業務の継続につながります。その為に、これまでの人生で培ってきた色々な人脈を駆使して宮崎県内の企業・医療機関120社に賛助会員になっていただき、特定非営利活動法人としての活動基盤を安定させています。
私は「いのちの電話」について全く知識がなかったので、まず隣県の鹿児島いのちの電話の見学をしようと思い、平成30年5月1日に3時間電話してやっと繋がり、翌日、鹿児島いのちの電話の事務局と連絡が取れ、5月4日に現地に行くことができましたが、そこで事務局員から衝撃的なことを聴きました。「鹿児島いのちの電話が開局して30年間、宮崎からの電話を受けてきました。なかなか宮崎いのちの電話ができないので、当方の理事長が“鹿児島いのちの電話宮崎分室をつくりましょう”と言ってるので大変だと思っていたら宮崎の方が見学に来てほっとしました」宮崎に鹿児島の分室ができてしまったら宮崎県で自殺対策に関わっている者にとっては大変なことになると思い、宮崎いのちの電話をつくる覚悟を決めました。しかも個人や1団体ではなく、オール宮崎の参加する団体にしなければならないと決意しました。
自分の仕事、実際に生計を立てている仕事で社会に貢献することは素晴らしい事ですが、その仕事以外の活動で社会に貢献している人はとてもカッコイイと思います。その典型がいのちの電話の相談員です。自ら養成研修の費用を払って、宮崎いのちの電話では1月から隔週の日曜日に各々3時間の研修を受け、10月に認定を受けた後はローテーションで明け方4時までの電話相談業務を無償のボランティアで行っておられます。本当に感謝の言葉しかありません。
幸いなことに平成30年10月に県内の医療、福祉、法曹、宗教等17団体の参加で設立し、県内120社あまりの賛助会員からの寄付をいただいております。また、相談員養成研修終了時の認定証授与式には宮崎県知事が出席してくださるようになり、本当の意味でのオール宮崎が達成されております。今後はこれらの更なる充実を図り、宮崎いのちの電話が設立10年を迎える令和10年には相談員が150名位となり、現在の18:00~28:00を24時間体制にし、電話だけではなくSNSにも対応できる様にしたいと思います。
仕事で社会に貢献することも大切ですが、仕事以外のことで社会に貢献することも必要だと思います。また、環境問題について、今の若い世代の方々が考えて頂ければ、次の世代にも役に立つと思いますので、何事においてもとにかく汗をかいて頑張って頂きたいです。
グランドセイコー、慶應義塾大学創立150周年記念の慶應特別バージョンです。福澤先生の「慶應義塾の目的は気品の泉源、智徳の模範である」との言葉を時刻を確認する度に心に刻んでおります。
国際学会での初めての発表が1982年にイタリアのフィレンツェで開催されたCINP(国際精神薬理学会)でした。フィレンツェにあるフェラガモの本店で購入したものを40年経った現在でも履いています。医師は何才になっても勉強が必要です。初心忘れるべからず。