覚悟の瞬間(とき)

幸治鍼灸整骨院 院長 立川幸治
たてかわこうじ

立川幸治

大阪府生まれB型
職業:幸治鍼灸整骨院 院長
趣味:トライアスロン、筋トレ
座右の銘:指導者たるもの実践者たれ

大学卒業後、父が営むの三光美装に入社。5年勤め、父が他界。それをきっかけに、柔道整復師の専門学校へ入学。3年後に柔道整復師取得。卒業後に鍼灸科へ。鍼灸科3年の2010年4月に幸治鍼灸整骨院開業。2013年株式会社 MAKE設立。2017年5月トレーニングルームオープン。治療だけでなく、痛みの出ない体づくり、健康寿命を伸ばす、来院した時よりもより強くなって治療から卒業していただくという想いでオープンしました。
資格 柔道整復師 鍼灸師 日本ハイインテンシティトレーニング協会(ファシリテーター) JCCAアドバンストレーナー

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

今の仕事に就いたのは、父親が他界したのがきっかけです。その時に、兄から幸治は椎間板ヘルニアになって人の痛みもわかるし、人に対して優しいところを持ってるから考えたら。ということで言われた次の日にオープンキャンパスをやっていたのでオープンキャンパスへ行って、入学を決意しました。父親のと仕事は美装の仕事で父が責任を持ってやってくれていました。私は父に任せっきりで、甘い生活を送っていました。父の病が進むにつれて体調が悪いなか現場に来てくれて、咳き込みながら仕事をしている姿、私もヘルニアで腰が痛い中働き、心も体も結構やられていました。そんな甘い自分自身を変えるために今の仕事をしようと思ったのが一つ目のきっかけです。職人の仕事はコミュニケーションをあまりことがなかったので、今まで自分が経験したことがない自分にチャレンジして行くこと。また国家試験ということへの挑戦。2つ目は父がドクターから病名を言われた時に『間質性肺炎か』『この病気はもう治らない』と冷たく言われたということを聞いた時に、たとえ治らない病気であって、何か生きる希望や、一緒になって少しでも楽になるように、頑張って行きましょうや、そのような前向きな言葉をかけることができるんじゃないかと思いました。スパッとその人の生きる希望を失うような一言を簡単に言ったことを聞いた時に、ふと今からでも何かしら医療に関わる仕事に就いて、夢や希望を持って前を向いて行きていけることが言えるような、人間になって行きたいと思ったのがきっかけです。

現在の仕事への想い

一人一人に合わせた施述を行う、その人が最大努力できる範囲のことをご提案する、常に家族、愛する人と思い、接し寄り添って行く、また指導者たるもの実践者たれ一人一人に合わせた施術とはその時その時で体の状態、体調が違うので、常に患者様に寄り添い、体の状態を聞いて、感じてよりベストに近いものをご提供してくようにしています。マニュアル的な施術ではなく、常にオンリーワンの施術を行います。当院ではパーソナルトレーニングやダイエットも行なっています。例えば一人暮らしの男性で外食が多い人に無理な食事制限を行って、2、3ヶ月続けて、結果が出たとしても、無理をしているので続けることができずに、リバウンドしたり、やめてしまったりしてしまいます。その人のライフワークの中で続けることができること、少しだけ無理ができる内容。最大努力と言っていますが、最大努力を長く続け、それが習慣になり、頑張らなくてもいいようになっていただくこと。常に患者様は愛する人、家族、恋人、子供と思って接しています。愛する人であるからこそ、プロとして厳しいことも言わないといけないこともあると思います。常に愛する人のために必要なことは何か、できることは何かを考えてプロとしてのご提案をするようにしています。指導者が実践者でないと思っています。痛くて、体を良くしようと通われている患者様。そんな患者様と同じ土俵に立って、同じ立場に立ちたいという思い出、私自身トレーニングをしたり、フルマラソン、トライアスロン、ウルトラマラソンなどをしています。そのトレーニングの辛さを味わうことによって、少しでも患者様に近づきたいと思っています。

あなたにとって覚悟とは

1つ目は父親の死です。父がなくなった時に、自分自身で地に足ついて、責任を持って行きていかないといけないと思いました。また、一人になった母に迷惑をかけてはいけない、支えていかないといけないと思いました。その時に覚悟を決めたのは、物事を選択する時に楽なこと(逃げる)を選ぶか厳しい道(成長)を選ぶかの時は必ず、厳しい道を選択することを決めました。厳しい道はその時は厳しいかもわかりませんが、その先は成長しかないと思い、今は言葉を変えて、楽しい道というようにしています。2つ目はいつも来られている高齢者の患者様が少し期間が空いて、来院された時に、3ヶ月前までは一人でベットに上がれ、一人で椅子から立ち上がることができていたので、手を借りないとできなくなっていた状況を見た時です。いくらいい治療をしても、筋力の低下を防ぐことはできません。日常生活を送っているだけでも年間1%の筋力が衰えて行きます。2日寝たきりで1年分の筋力が落ちると言われています。当院に来られる患者様は寝たきりにさせない、転倒などのリスクをできる限り少なくするようにして行く、そのために、筋力トレーニングをしていたがく、そのための環境を作るために、今年の5月にトレーニングルームをオープンしました。3つ目は子供ができたことです。自分の子供が生まれた時に、今働いてくれているスタッフも愛する子供だと、同じなんだという想いになりました。その子供に夢や希望をチャレンジをどのように親として伝え、実践して行き、自立できるようにして行くのか。まだまだ勉強中で、どのようにしていいのか、もがいてるところです。私自身が成長して行きます。

カッコイイ大人とは?

仕事もバリバリ、趣味である(私はトライアスロン)ものも本気で取り組み、家族とも本気で接する大人になりたいと思っています。仕事は結果を出すのは当然で、その中で自分自身の趣味をしっかりと持っていて、それも一生懸命取り組んでいる大人がかっこいいと思います。現状に満足せずに、常に自己成長に投資している大人だと思います。自分らしく毎日を楽しく過ごし、人を楽しくさせることができる大人。夢や希望を見せることができる大人、チャンスや、挑戦できる場を提供できる大人、それを暖かく見守って支えることができる大人、失敗しても何度も挑戦する場を与えることができる大人、また、夢やビジョンを語り、それを実践している大人がかっこいいと思います。

今後に向かって

今の整骨院という概念をこえ、治療から卒業する人たちをたくさん増やして行きたいと思っています。治療からの卒業とは痛みの出ない体づくりをして行く人たち、そのような取り組みに目を向けて行く人、意識を持つ人たちをたくさん作って行き、やりたいことができる体や、寝たきりにならない、行きたいところに自分の足でいける、そのような人たちを増やして行く取り組みをして行きます。その一つとして、治療と筋力トレーニングを合わせた治療院のモデルを作って行きます。そして治療とトレーニングを融合した治療院のモデルを2020年までに3院出して、元気な毎日を楽しく過ごす、筋トレをワイワイガヤガヤ楽しくする人たちと楽しい人生を作っていきたいと思います。そしてその人の命が最後の時に、私と出会い、トレーニングをして人生が少しでも変わったと思い出していただけるような取り組み、人になっていく。あなたがあなたらしく生活できるように。

若者へのメッセージ

ゴールテープは必ず切ることができる。ゴールは決して逃げない。トライアスロンのロングディスタンスは総距離226キロ。ウルトラマラソンでは最高118キロ走ったことがあります。スタート地点からその距離を考えると正直嫌な感覚にいつもなります。人生も80年以上。そう考えると果てしなく長い、イメージできない長さです。トライアスロン、マラソンは楽なことより、辛い時の方が多いです。ホップステップジャンプでゴールテープを切ることはできないです。一歩一歩、歩いてでも進むことがゴールへ近くこと。周りのランナーを見ていても同じ人間、同じことをしていて、楽な人は一人もいません。自分だけがしんどいのではなく、ひたすらゴールに向かって一歩づつ。やめることは簡単です。自分自身からゼッケンを外すのか、走り続けるのか。しんどい時は歩いてもいい。少し立ち止まって、ゆっくりすることもしてもいい。どんな小さなことでもいいのでビジョン、目標を持って歩んでいけば、必ずゴールへたどり着くことができる。一歩一歩夢を持って歩んでいくことですね。

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お気に入り

短刀のキーホルダー

最近兄からもらったものです。そのタイミングでまた違う経営者の方から聞いた話で『行ってきます』の深い意味を聞きました。昔の侍は家族に行ってきますをいうのはいつもこれが最後の行ってきますという思いで、魂込めて『行ってきます』と言っていたと。毎日が真剣を持っての真剣勝負だったと。『行ってきます』は『逝っってきます』なんだと。その兄からもらった短刀をみて、その気持ちを常に持って、毎日を真剣勝負で生きていこうと思わせるアイテムです。

他界した父の写真

28歳の時に59歳で他界しましたが、父の死が私を大きく成長させてくれました。建築関係の企業を営んでおり、私も父の元で5年間一緒に仕事をしました。常に人のことを考える。きっちりと最後まで仕上げるという父の仕事への姿勢は今の私の中に生きています。私が天国に行く時に、父から認められるような、人想いの仕事をこれからもしていきたいと思います。