履正社高校入学。1年生からレギュラーとなり、3年生でキャプテンとなる。愛知学院大学へ野球特待生として入学。1年生からレギュラーとなり、神宮大会で本塁打を打ちベストナイン獲得。ドラフト候補となる。4年生となり、プロ野球を断念し大学院にそのまま進学。教員免許を取得。大学院卒業後、2年間教師となる。26歳になり、プルデンシャル生命保険株式会社からヘッドハンティングを受け転職。28歳で業界トップセールス資格MDRTを取得(今年度で10回達成。終身会員)。その後4500名の社員の中で業界記録の樹立と共に常にトップ10入りを果たす。2021年に11年勤務したプルデンシャルを辞め独立を果たす。1年で社員数70名を超える会社を作り、グループ5社のCEOとなる。2022年度は100名体制にし、2025年にはグループ売上100億を目指す。
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人に影響をもたらす仕事をしたいという思いから教師となりました。同時に母親家業を手伝ううちに、自分の力を試せる仕事に興味を持っていました。そんな中、たまたま母のお店に来たプルデンシャルのスカウトマンに声をかけて頂き「人生の通知表が出る仕事」「医者が守れないことを守る仕事」この言葉に感銘を受け転職を決意しました。その中で、入社する新人や後輩が才能があるにも関わらず、開花できずに好きな保険の仕事を辞めていく仲間を何人も目の当たりにし、自分が代表となり指導をすることができれば、辞める必要がなくそれが保険業界にできる僕の貢献だと思い、すべてを捨てて独立致しました。
日本においては保険の加入率は90%近くありますが、その中でも7割から8割のお客様は理解せずに、加入されてしまっています。保険は教育事業だと思っておりますので、しっかりとした知識を持った人々がお客様に商品提供できるような業界に変えなければならないと思います。保険という仕事の素晴らしさ、フルコミッションで働く同業に勇気をもたらすと同時に、子供達が将来なりたい職業ランキングになるような、業界の変革を起こしたいと思っております。
幼い頃に兄を事故で亡くしています。自分の近しいスーパーヒーローが目の前で亡くなる瞬間目の当たりにしました。逆順位で起きてしまった悲惨な事故で、家族がバラバラになり、毎日泣く両親をみて、『僕は兄の分まで親を守る。幸せにする』という覚悟を5歳で決意しました。そのため親を喜ばせることは何かと、常に考え続けて生きていきました。そして保険の仕事は「万が一」ではなく「万が万」です。結婚する瞬間、子供が生まれる瞬間、その時自分に何も起きないのかというのは、誰も約束できなければ、誰もわからない未来です。そこに気づいてもらう仕事というのはすごく価値があると思っております。
尊敬するのは僕の父親です。50年以上自分で事業を経営し、何十人の社員を雇用し、その先にいる何百人の家族を守ることはすごくかっこいいと思います。自分も経営者となり、社員雇用し、会社を成長させ続け、社員と家族を守り続けることが最大の福利厚生だと思っており、それを50年以上続けてこられた父の姿は、僕のバイブルとなっています。そして大人からも人気があり、子どもからも人気があるような、他人の目線に合わせられる人は純粋にかっこいいと思います。奢ることなく、どんな人にも平等であり、目先の利益ではなく人の心がわかる人は、人の評価が高く、社内からも愛される人だと思います。
保険の営業はネガティブなイメージがあると思いますが、そこを働いている人の概念ごと、180度変えていきたいと思っています。元気な人に元気を与えて欲しいというのは当たり前の話だと思います。日本一キラキラ頑張って評価される、社員が幸せを感じれる会社作り、時間、お金、健康、家族、仲間、全てのバランスの良い社員とやりがいを共有し、業界最高峰の会社にすることです。僕のようなハッピーライフプランナーを一人でも多く輩出することが、
僕がこの業界にできる貢献だと思います。
大人は楽しく素晴らしい!という大人の世界を創りたいと思っています。僕という表現者が、人生を楽しんでいる姿を子供にも表現していきたいです。そして今、目の前のことを全力でやってほしいと思っています。チャンスを掴む人たちというのはやはり全力で生きていると思うので、今、目の前にある課題や、やると決めたことをやり遂げられる人、努力は無限にできるということを伝えたいです。
はじめての海外で買った時計(ロレックス)です。時を刻むということを営業の方から聞き感動して購入したものです。
お金がない時に、先輩が僕のためにオークションで競り落としてくれたグローブです。僕の辛い時の心の支えとなりました。その方は亡くなったので人生の宝物の一つです。