1991年に天然馬毛の美しさに惚れる。1992年馬の毛を1本ずつ繋ぎ合わる技術を開発。3年後「馬毛織機」にて特許取得。究極の天然馬毛だけを追い求め現在に至る。
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私が高校2年生の時に裏漉し器が馬の毛で作られておりまして、その職人さんに出会う機会がありました。1頭の馬からは馬の毛が7キロくらいとれます。馬の毛には光沢があり、そしてしなやかです。その魅力に魅せられて、高校3年生の頃には馬の毛糸の特許を取得しました。その後、農業の大学に進学し、22歳で馬の毛織の特許を取得。大学卒業後、高校の先生を2年間勤めました。父の自殺、母親の統合失調症、弟もまだ中学2年生でしたので、教師だけでは食べていけないとのことで、大好きな馬の毛で起業ができないかと思い、20代から馬の毛職人として続けております。
私は創業当初から、着色や漂白など一切せず、天然な馬の毛の本物の良さだけを大切にしております。黒馬毛なら黒馬毛の良さ、茶馬毛なら茶馬毛の良さ、白馬毛なら白馬毛の良さを最大限引き出すような形で物を作っております。すいた馬の毛を使用しており、その毛を綺麗にし、磨きをかけてあげると、太陽光にあたるときらきらと、キューティクルが美しく、雨風にも強い、そして何よりも軽い。例えば、ハイブランド向けの生地、欧米向けのタペストリー、最近では馬毛の瓶詰めやストラップを作っています。本物の良さだけをお伝えしたい。という想いで31年間変わらずやってきております。
1つ目の覚悟は父親が自殺したときです。20代30代は母、祖母の介護の日々を過ごし若いうちにすべての苦労をしました。2つ目は会社に灯油をイタズラに撒かれるという事件があり、お客様への納品の迷惑、そして職人さんたちにも給料をお渡ししないといけないので、親の介護もあり、一度廃業を決意しました。そのあと、2年ほど経ったとき、当時首相であった安倍総理が国の再チャレンジ制度というものを作られ、融資を受け再び起業しました。苦労は買ってでもしなさいという言葉もありますよう、若いうちは苦労して、歳をとってからゆとりのある生活をされた方がいいかと思います。
良いときも、悪いときも、何も知らないふりでそっとそばにいてくれる人には感謝してますし、私もそういう人間になりたいと思います。大切にしている考えで、おかげおかげの下で生きることを大事にしております。
世界的にみても馬の毛職人を専門にやっている人は世界に3人ほどだけです。またサスティナブルなうまのけをやっている人は日本にはほとんどいません。日本でいつか伝統となるよう次世代の馬の毛職人を育てていきたいと思います。
私のような人生であっても、なるようになるしかないです。ちょっとしたことで悩むのではなく、自分がまっすぐ前むきに向くことで、共感してくれる人が、必ずいてくれますので、交流を深めて頑張っていただきたいですね。
亡くなった母と祖母のパスポートです。母子家庭に生まれたので、母が再婚する時に祖母が私を養子として迎えてくれました。なので私には育ての親と、生みの親がいます。覚悟を決めるときはこれを持って相談しながら決めています。
2017年に雪道で滑り転倒してしまい、その際に頚髄神経根損傷という怪我を負い、身体が不自由になりました。ヘルプマークをすることで皆様に支えて頂きながら、社会で生きていき、そして障がい者であることを隠さないということを決めています。