スマイルパーク歯科 院長 橋本玄徳
はしもとげんとく

橋本玄徳

兵庫県生まれO型
職業:スマイルパーク歯科 院長
趣味:ウォーキング
座右の銘:言葉を選ぶより、まなざしを選ぼう

2014年3月愛知学院大学歯学部卒業。その後2016年4月医療法人筍会たけの子歯科にて2年間勤務。2018年4月からは「医療法人社団はしもと歯科医院」にて勤務。2020年4月には院長に就任。2021年4月に「医療法人社団はしもと歯科医院」から「医療法人社団スマイルパーク スマイルパーク歯科」へ医院名を変更。その後現在に至る。

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

もともとスマイルパーク歯科ははしもと歯科医院という名前でした。はしもと歯科医院を開業した父に流されるまま歯科大学に進みました。大学時代は中途半端な気持ちでしたのであまり勉強をせずにやりたい事をしていました。そこで、自分の人生を何一つ自分で決めていなかったんだなと気づきました。何かを決めないと何かをやろうとは思えないと感じたので、その時は歯科医師になるということではなくてバンドマンとして生きていくと決めました。しかし、バンドが世の中の役に立っているとは思えなかったので、別のやり方で世の中の役に立っていこうと決心したのが歯科医師の資格を取るきっかけでした。

現在の仕事への想い

医院の中で最も大事にしていることは、安心という土壌を作りその上でやらないといけない事を決めるということです。そこにいくと元気になれる、もう少し健康でいたい、自分を大切にしたいと思ってもらいたいと思っています。そもそも歯を大切にしたいと思えていない人が多いので、歯を大切にする事は身体を大切にしていくという事をお伝えできる場所にする事を大事にしてます。医院をリニューアルしましたが、患者様とお話をできる部屋を作ったりすることに力を入れています。歯医者さんが怖い場所だとは思ってほしくないので見た目だけではなく治療のスタイルも変えようとしています。

あなたにとって覚悟とは

人は誰かの役に立っている時が一番輝いていると思います。それにはトップがどのように世の中の役に立つか明確に示してコミットしないと何をすればいいのかもわからないと思います。何かがないなと思った時に、医院の理念やビジョンのようにここに向かっていこうというものがなかったからいつまでも一致団結して進めないんだと感じたので、手探りで具体的に目指したいことを決めて徹底的にやると話をした時は転換期でした。1人の歯科医師として患者様の役に立つのではなく、スタッフも含めて皆で役立ち、地域に広く貢献していくために、はしもと歯科医院からスマイルパーク歯科に医院名を変更しました。

カッコイイ大人とは?

自分の役割が分かっていてそこに対してコミットしている人はかっこいいなと思います。自分がバンドマンの時は歯科医師という役割にコミットできていなかったから紆余曲折していたんだと思っています。役割がわからない時は個性が暴走してしまい、自分のためにその個性を使ってしまうので、社会に活かしていけないという状況でした。ただ、役割にハマった中で個性を活かしていくと何かしらの役に立ちました。ですので、歯科医師としての役割と院長としての役割にコミットしていきたいなと思います。

今後の展望

建物がきれいになりましたので、2年でこの建物を使い倒せるように動いていくということが今やろうとしていることです。同じ地域の病院の方と連携したりすることで、貢献の輪を広げていきたいです。また、生まれたての赤ちゃんのために離乳食教室を始めました。その時から歯医者さんに関わり、どのように歯を大切にしていけるかをお母さんも一緒に勉強できればお子様が成長する上で困らないと思います。日々の健康づくりができるような場所にしていきたいと思っています。

若者へのメッセージ

自分らしく生きたいと思っているけどどうしていいかわからないと感じている人は、今与えられている役割に目一杯コミットしてみてください。どうすれば自分が世の中に役立てるのかということが少しわかるかもしれません。応援しています!

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お気に入り

かたばみの家紋

かたばみは、父親が大切にしてきた家紋でした。かたばみは、生命力の高い植物で、折れない心で、挑戦し続ける。かたばみには父親のそんな想いがあるのだと思っています。そんな、創業者である父親が大切にされてきたかたばみの想いを自分の中に活かしていきたいです。

家族の写真

結婚した当初は、家族そっちのけで仕事に没頭していました。仕事で成功したければ家族を犠牲にしなければならないという誤った信念があったからです。しかし、経験を積んでいくにしたがって、自分と家族、スタッフが調和が取れて初めて、人はナチュラルに社会貢献ができることがわかりました。それが、僕にとっての生きていくという事です。