長野県看護大学看護学部卒業後、長野県松本市で行政保健師として地域住民の健康の維持増進のための業務を行う。その後、長野県看護大学大学院看護学研究科へ進学し修了後、慶應義塾大学看護医療学部にて教育研究職に就き、看護学生の教育を経験。一旦、看護の現場に戻り、セイコーエプソン株式会社、三井住友銀行に産業保健師として在籍し、働く方達の健康管理及びサポート業務を10年間行う。その後、令和元年5月に株式会社Nursing-linkを設立し、代表取締役として看護学生及び看護職の個別学習支援事業を展開している。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
高校生の頃、保育士をしていた母親に、女性が自立して生きていくために、資格がある仕事に就くことを勧められ、それをきっかけに地元の長野県看護大学に進学しましたが、この大学では素晴らしい教育を受けることができました。その後、現場や大学での教育研究職を経験しフリーランスで地域での看護活動をしていた時に、知人から看護学生さんの病棟実習での患者さん分析(看護過程)の指導を依頼されました。その時に、看護教員の指導に疑問を感じ、私が受けた看護教育は理想の中の理想であることを実感しました。また、教員との関係性に苦しみ、なかなか学習が進まない看護学生さんの姿を目の当たりにし、より理想的な考え方を指導しながら看護学生さんの力になりたいと思い、今の仕事を始めました。
お客様である看護学生さんや看護師さんと真剣に向き合うことを大切にしています。生徒さんは実習中に患者さんの状態やケアを分析すること、その分析を記録やレポートとして記述することに夢中になり過ぎて、患者さんと真剣に向き合っていない時があります。これはレポート類が実習評価として大きな部分を占めているためです。ただ、患者さんと真剣に向き合えていないと分析はズレてしまい、患者さんと向き合えるようになると患者さんの状態を的確に分析できるようになります。これは私も一緒です。生徒さんに真剣に向き合えていないと指導がずれて、看護学生さんの実習が上手く回らない瞬間があります。ですので、真剣に向き合うことの大切さを知ってもらうために、お客様であっても、自分が感じたことをきちんとお伝えするようにしています。それがその方にとっての欠点を指摘するものであることも度々あります。そのことでぶつかることもありますが、曖昧にしていたら、本当の学習や成長を促せないと感じています。
この会社を始める前は、大手企業で産業保健師の仕事をしていました。毎月安定したお給料をもらい、休みも取れ、自分の時間を十分に使うことができました。ですが、その会社員時代にも、看護過程を指導してくれとの問い合わせが数多くありました。その中で、やはり自分にしかできない仕事をすることが自分の幸せだと感じるようになりました。看護職の資格を持っているとは言え、既に40歳を超え、条件のいい組織に再度就職することはできないだろうと思いながらも、自分のポリシーと幸せを追求し産業保健師で所属していた組織を辞め、自分の会社を設立しようと決心した時が私の覚悟の瞬間でした。
毎日同じことを積み重ねることができる人がカッコいい大人だと思います。旅行やイベントごと、大変な仕事があったとしても、趣味や運動を継続し、バランスよく生活できることが理想です。今年出会った私と同年代の生徒さんで、10年間、毎週1回パーソナルのジムに通っていらっしゃる方がおり、「イチロー選手みたいですね、私はそういう生活ができないのですが、それを出来る人を尊敬しています」と話しました。私はやりたい事や仕事に関しては、物凄く熱量を掛けてとことん取り組みますが、その後体力的にも消耗し、回復するのに時間がかかります。年齢を重ねても健康を保ち、自分の時間と仕事のバランスを取り会社を続けていくためには、生活を変え、毎日同じことを積み重ねていくことが大切だと思っています。結果として、自分のモチベーションやコンディションがプラスに貯金ができて、会社の発展に繋がると感じています。
看護師、看護学生の教育の面から、また、株式会社として発展することでビジネスの面からも他業種と対等に存在できることを示すことで、看護職の社会的地位を上げたいと思っています。弊社は「看護過程」と呼ばれる患者さんの状態、ケアの分析過程を個別指導できる全国唯一の塾として、看護学生さんや現役看護職の皆様にサービスを提供しています。ただ、援助技術が高度化し、複雑になればなるほど看護現場は業務が増え過酷となります。看護職の有資格者が増える一方、それでも看護師不足がうたわれるのは、看護業務の過酷さにより看護師を辞めてしまう人が多いからです。コロナ禍でも現場の看護職は生活を削って働いていますが、その報酬や社会からの見られ方は、実際の業務とそれに伴う責任に見合っていません。看護師が現場でやりがいをもって患者さんに向き合い、質の高い看護を提供し、国民の健康と生活を守るために、看護師の社会的地位向上が必要だと思います。
「夢を追及し、その夢を叶えるために型にはまらず自分の枠を超えて色んなことにチャレンジしてほしい」と思います。私の子供の頃の夢はCAになることでした。ですが、長野の田舎育ちで小心者だった私がその夢にチャレンジし、叶えることはありませんでした。そんな私が看護の道を志したのは「これからは女性も手に職をつけて自立していく時代」という母の考え方が影響しています。看護大学に進学し、その後も看護の世界の中で好きなことをたくさんやってきました。そんな私が会社設立に至ったのは、自分の世界の枠を超え、それまで関わりのない分野の方々との交流にチャレンジしたことがきっかけです。今まで見たことのない世界を経験し、壁にぶつかりながらも夢を叶えるためにチャレンジしたことで、今の私があります。これからも、私の夢である「看護職の社会的地位向上のために、会社を成長させること」を追求し、チャレンジし続けたいと思っています。
会社を設立した時に購入しました。当時の私にとっては、少しお値段が高いものでしたが、「これからいい指導をしたい」と気合を入れて購入したアイテムで、今でも使っています。
看護学生さんの個別指導を始めた時は、生徒さんのご自宅に伺うことも多くありました。そのためにはきちんとした靴、且つ歩きやすい靴が必要で、靴屋さんを回り何足も履いて試して購入した靴です。