邦楽演奏家の祖父と叔父、日本舞踊家の母と、伝統芸能一家に生まれる。母に憧れて自身も日舞を始め、3歳の初舞台で舞台の虜に。6歳で祖父に弟子入りし、唄と三味線に傾倒。祖父が創流した「喜多川派」を継ぐ予定であった弟が20歳の若さで白血病により他界したのを受け、自身が26歳の時に家元を襲名し現在に至る。また「富士松 照巳」の名で、江戸浄瑠璃である新内節の伝承にも力を入れている。2021年、世界的に文化的活動の存続が危ぶまれる中、日本文化に特化した「和文化マッチングサービス」を考案。中小企業庁による事業再構築補助金の対象として採択され、2022年5月にサービスを開始した。邦楽演奏家と事業家の両輪で幅広く活動している。
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コロナ禍を受けて舞台芸能者や裏方さん、花街などの仕事の機会が失われ、昔からの知人や友人が希望を失って塞ぎ込んでしまう様子を目の当たりにしました。大好きで大切な日本の伝統的な文化が、今のままでは衰退の一途を辿ることになってしまう!と危機感を抱いたのです。いつまで続くか分からない状況の中、せめて未来へと目を向けて、希望を取り戻してもらえたら、と考えて生み出した案がこの「和文化マッチングサービス」です。流派の問題など、小さな単位で分断されがちな日本文化だからこそ感じやすかった個人の「孤独感」も問題と捉え、従来の垣根を超えて手を取り合えるプラットフォームが必要だと痛感しました。1人の100歩よりも、100人の1歩の方が、今後の日本文化には必要だと考え「和の業界」全体の底上げのための仕組みを作りたかったのです。
この事業を盛り立てていくことは急務ではありますが、雑なことはしたくないと考えています。「和」の心を重んじたいという信念のもと、一つ一つの事柄や人々に丁寧に、真摯に向き合っていくことを心がけています。日々出会う相談者さんや提携業者さん、お一人お一人のお話はいつも大変興味深く、様々な価値観と意見が私たち「わのこん」にとっての何よりの財産となっています。一度に多くは捌けない、非効率なやり方だと言われればそれまでですが、こうやって丁寧に向き合うことで、小さいながらも一歩一歩、私たちの目指す世界へと近づいていると感じています。
私にとっての覚悟の瞬間は「生きることを決めた瞬間」です。大の仲良しだった弟が14歳で急性リンパ性白血病と診断され、そこからの闘病期間は6年半にも及びました。ちょうど子供達のお姉ちゃん的存在だった私は、弟の病棟の小さな子たちとよく一緒に遊んだものですが、病魔はその子達の命を次々と蝕んでいきました。弟が20歳で亡くなるまでに経験した子供達とのお別れは10人以上。そして身内のお葬式として初めて喪主側の席に座ったのは、弟のお葬式でした。正直、そのような中で「私は死んではいけない」という思いに支配され、生きるのが苦痛に感じられたこともありました。それでも、私に与えられた使命を果たし命を燃やし尽くすまで、しっかりと生きることを決意したのがまさに私の覚悟の瞬間でした。覚悟とは、命も決断も行動も、責任を持って貫き通すことだと思います。
いつも誰かがその背中を追い続けているような人だと思います。この人に何か教わりたいなど、直接的な何かではなくても、その背中を追い続けていく先に「何かあるんじゃないか」と希望を抱ける。そういう大人がカッコいいと思います。そういった先生方はたくさんいらっしゃいますし、実際に私も背中を追わせて頂いている方もおります。その人の腹のくくり方、考え方などが見えたとき、その人の見る世界を見てみたい。私も見てみたいと思ったとき、背中を追っていきたいと思います。私もそういった方になりたいと思っております。
誰かの一人勝ちではなく全体が活気付くこと。そこに共感を頂けた方々と共に大きな「和の環(わ)」を広げて行きたいです。私自身も伝統芸能を担う人間の1人である以上、その道を極め続けていくことも、日本の未来にはとても大切だと考えています。また同時に、わのこんのフランチャイズ化にも歩みを進め、全国各地のオーソリティがその土地の人々を繋ぐことのできる仕組み作りを始めています。
日本の文化は、皆さんが思っている以上に多種多様で深く、興味深い世界です。娯楽や情報が溢れる世の中で、昔から当たり前のように身近にあった「日本らしさ」はつい埋もれがち。でもきっと、一人一人の興味にフックするジャンルや情報が存在するはずです。「ちょっと興味あるかも」その思いが無限の可能性と日本文化の未来に繋がるキッカケになります。四季に恵まれ、独自の文化を築いてきた美しい国。日本に生まれたからこその喜びと楽しみを、ぜひ貪欲に探してみてください。
亡き祖父から譲り受けた一挺と、叔父の縁で譲り受けた常磐津節人間国宝の先生の物だった一挺。数ある三味線の中で私にとって最も大切な三味線たちです。
「ゴホン!といえば」でお馴染みのブランドのマニア。生徒に教える時、自身が浄瑠璃を語る時、愛用しています。喉が潰れたことは人生で一度もないんですけどね。