1999年大学卒業後、京都大学医学部小児科学教室入局。岸和田市民病院、舞鶴市民病院を経て、京都大学大学院に入学。ウイルス研究所感染免疫教室(松岡研)にてHTLV-1の研究に携わり、博士号取得。2003年HTLV-1国際学会の研究発表で優秀賞を受賞。2007年より医療法人社団宮崎クリニック副院長、2020年より同院理事長、院長に就任。
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祖父の代から医業に携わる家系であり、小さい頃から正義感が強かったこともあり、自然と自分もその道を選ぶようになりました。元々、生物の変化をみることも好きだったのもあり、学力もついてきたので医学部の道に決めました。もし医師という道でなければ、考古学者になっていたかもしれません。ただ動かないものより動くものを研究していく、いわゆる生物学に興味がありました。大学院に進んでからは、ウイルス研究に興味があり、ウイルス研究所感染免疫教室で研究をしていました。それから母の病気のこともあり、家業である宮崎クリニックに戻りました。当時は小児科の知識しかなかったので、母親に教わりながら内科の知識を深めていきました。患者様に育てていただいたと言っても過言ではないかと思います。
患者さんに優しい、患者さんに分かりやすい、患者さんに納得して貰える医療を心がけています。医療用語を使っての説明は患者様にとってはわかりづらいと思うので、納得感をもって患者様が理解できるように伝えることは大事にしています。これは自分だけでなく受付担当や看護師に対しても指導するようにしており、説明の際は結論から伝えるように心掛けています。伝え方を研究するためにも、ビジネス書を読み漁ったりもしました。また、患者様の症状だけでなく、バックグラウンドも知るようにしています。患者様の家族構成やお住まいなども知った上で診療しています。そして常に知識をアップデートしていくことが大事ですので、気になることは診療後に勉強するようにしています。
母である先代の院長が急死し、すべて診療所のことを自分一人でしなければならなくなってから、改めて開業医とは何か、考えるようになりました。母との別れを悲しむ間もなく、クリニックを任されることになり、正直大変でした。スタッフを守ること、これまで来てくれている患者様をしっかり診ていくために、前に進むしかないと決意をしました。幸い、周りに助けてくれる方がいましたので、本当に周りの方には感謝をしています。結果、祖父や母がやってきたスタイルは間違っていないことを確信し、現在は自分なりにアレンジして現代に適応した地域医療を行っています。特にコロナ禍でしたので、人と人との接触を避けるためなどの設備投資やIT化を推しはかりました。
夢を決して諦めない、自分を信じてひたすら邁進する人だと思います。信念を持って成し遂げていく人はかっこいいですね。目標を最後までブレずに持ち続け、そこに向けてどうやっていけばいいか努力する必要があると思います。徳川家康の名言に「不自由を常と思えば不足なし」ともあるように、「何もないことから始めようか」と子供にもよく伝えています。そうすることで恥ずかしくないし怖くないし、悩むことなく、目標に向かえると思います。
男女共同参加という社会にはなりつつも、子供をもつ母親は大変な思いをしているのが現状です。私自身も子供を育てながら働いていますので、女性の働き方を確立するサポートをしたいと思います。そのためにも、経済的に余裕ができたら、伊丹市が消極的な病児保育事業に携わり、活動を広げて行きたいです。自治体のバックアップが必要不可欠で自治体によって方向性も異なるので、自治体と協力をしながら、ゆくゆくは携わっていきたいなと思います。できるようになれば、役所の方々に情熱を持って直談判をしていこうと考えています。地域一丸となって「子供を丁寧に育てることの大事さ」を訴えていきたいです。
まずは自分の夢を持つこと。そして、その夢に向かって邁進する心を持ってください。自分の夢の実現のために、目標をぶらさず、どのようにしたら近づけるかを考え、様々な世界に身を投じて欲しいと思います。自分を信じ、前を見据え、1歩ずつ進んでください。頑張ってください。
夫からプレゼントされたものですが、仕事に必要なものから、子供の世話に必要なものから、何でも入るので重宝しています。
夫からプレゼントされたものですが、電池交換不要で、時間も自動で修正するので、とても便利です。