国士舘高等学校卒業。運送業や型枠大工など様々な会社に勤めた後、防水工事で色々な海外の場所に行く。その後も色々な職業をやっていたが、2代目の父が急死。事業を畳むことを考えたがこの会社を守る使命があると感じ、谷平工業を3代目として受け継ぐ。
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2代目の父の他界をきっかけに受け継がずに事業を畳むことを考えたが工場の中で機械の製造年月日と自分の生年月日が一緒であることに気づきました。その際に創業者である祖父との思い出を思い出し、”自分にはこの会社を守る使命”があるんだと感じたのがきっかけで3代目として受け継ぐことを決意しました。
どんな仕事であったとしても直接、何か事故が起こってはいけません。それくらい生活に欠かせないものを提供しています。だからこそ手を抜く、手を抜かない以前に良い商品をどれだけ提供できるか。経験にはなってしまうんですがいくら時間をかけたかではなく頭の中で色んなシミュレーションをして完成されたものをイメージして作る、逆にイメージできないものは一切作りません。
父が他界して結構な金額の借金があったと発覚して家や会社や会社の土地までも担保に入っていたんですが機械だけが手元に残っていました。その機械を売るのか使うのか悩んだ末に使って借金を返済していく事を決断しました。
自由な考えを持てる人です。大人になっても子供の心を持っていたい。そのような方をカッコイイと思います。また私の祖父はとにかくわがままだったんですがそのわがままを貫き通してそれでいて優しい人だったんで祖父の事をカッコいいと思っていました。
今の仕事をしっかりやりつつ自分が以前、体が不自由になった時に体が動かないことがどれだけ不自由なことなのかっていうのを実感したので治療用装具の義足の開発をしてみたいとは思っています。誰がつけても誰もが不自由なく暮らせる義足を開発してみたいと思っています。
今の時代は情報社会で色々な情報は入ってきて色々と振り回されることはあると思うんですがそれだけに捕らわれ過ぎず自分の体で色々な事を体験して自分を信じて自分で決断して道を切り拓いていってほしいと私は思います。
祖父に貰ったものはありますが、ある意味自分で初めて選んで買ったものです。
代表になったとき浅草で買ったものです。