国立苫小牧工業専門学校土木工学科卒業。1998年岩倉建設株式会社入社。道内2年、道外10年で橋梁、道路、下水道、再開発に携わる。2010年有限会社神馬建設に入社。土木から建築へ転向。2018年代表取締役就任。
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工務店の息子ではありましたが、土木と建築の違いを知らずに高校から土木の道へ。そのまま土木技術者としてもやもやしながら12年勤めた後、「親父の仕事をちゃんとみているのか?」とイエを建てさせてもらった人に言われ、「顔の見える仕事がしたかった」のだと気づきもやもやの消化先は実家だとおもって帰って来ました。
次の世代につなぐことを意識しています。これまでに作られた良いものだけを、令和以降の世代につなぐ責務があります。
浦河というこの地域にある建築文化に対してもです。ここは10年に1度震度6の地震があるため、地震に強い家づくりをしています。それを感覚的ではなく数値化などしてつなぐことで、先人たちの知恵が間違っていないと伝えていきたいです。
退路を絶って帰ってくる時です。縮小する中へ飛び込むという事。その一歩を踏み出す瞬間が覚悟でした。地域に根差しているからこそ地域と密接につながっています。だからこそお互い気になる部分があり、そして助け合うことができます。覚悟を決めて踏み出すから挑戦を厭わない。そして挑戦しつづけるから失敗しないと考えています。
自分らしく生きる大人がカッコいいと思います。立派な大人になれないが、立派な俺様になる。と言う歌詞から自分らしく生きる事を目指そうと思いました。自分らしくない時もありましたがその時は人の縁も、人としてもどこか自分がすっぽり抜けてしまっているような気がします。無理をして生きるのではなく自分らしく生きることでそれがwell-being、幸福につながると思います。
自分の周りの人達が豊かに生きるための家づくりをしていきます。周りとは家族や社員、協力会社、社員、お客さん、地域の応援してくれる縁のある人々全てです。周りが豊かであれば自分も豊かに感じます。また家づくりは街づくりだと思っていて、ライフスタイルにあった家づくりをすると帰ってきたくなるような場所になる。そんな地域を作っていくことが夢です。
早く行きたければひとりで行け、遠くへいきたければ仲間とゆけ。微力だが無力ではない。仲間がいればより行ける。これはアフリカのことわざです。ひとりは挑戦がしやすいです。ただ仲間がいるからこそいろいろなことができる。だからこそ仲間づくりを大切に、そして挑戦をしていってほしいです。
公私ともになくてはならないもの。僕よりも僕のことをわかっている。
公私ともにより豊かに遺してくれるもの。携帯も素晴らしいが、より情緒性を記憶してくれるもの。