覚悟の瞬間(とき)

ヒグチデンタルクリニック 歯科医師 三枝遵子
さいぐさじゅんこ

三枝遵子

東京都生まれA型
職業:ヒグチデンタルクリニック 歯科医師
趣味:旅行、写真
座右の銘:笑う門には福来る

日本大学歯学部卒業。日本大学歯学部付属歯科病院歯周病学講座を経て樋口歯科開業。平成21年にヒグチデンタルクリニックと名称変更し移転開院。2011年、ハミガキろっく制作。2013年、DVDでみる絵本制作。

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

手に職を持つよう両親に育てられ、薬剤師になろうと思っていましたが、お世話になっていたかかりつけ歯科の先生に、歯科医になったらどうかと勧められました。その先生が患者さんに「ありがとうございます。」と感謝される姿を見て、歯科医は人の役に立つ素敵な職だと感じ、歯科医になる事を決めました。

現在の仕事への想い

私を信じて数ある歯科医院から選んで下さった患者さんに感謝し、仕事をしています。口腔ケアの大切さを1人でも多くの方に知ってもらいたいと予防重視に日々邁進しております。日本人の歯に対する意識の向上、予防啓蒙活動をずっとしていきたいです。そして、子供の頃からの予防がいかに大切かを知ってもらい、日本人の歯の予防意識が定着して欲しいと切に願っております。口腔ケアが健康への近道だと皆様に知って欲しいです。

あなたにとって覚悟とは

人生で最も覚悟した時は、若くして開業した時です。どんな患者さんがいらっしゃるか分からないのですから、開業時はどなたも多少なり不安もあると思いますが、不安ある歯科医に誰が診てもらいたいかと自分を患者さんに置き替えた時、絶対、患者さんに不安を与えてはいけないと覚悟しました。インフォームドコンセント(納得診療)の徹底、予防がいかに大切かを良く説明し診療してきました。日々の生活で嬉しい事はやはり患者さんに「ありがとうございました。」と言っていただけること、そして「私の友人を紹介しますのでよろしくお願いします。」と言われることです。そして、歯科医人生で何より嬉しい事は、治療が終わってから数年ぶりに再来した患者さんに「また診て下さい。」と言われる時です。歯科医になり開業して良かったと、患者さんにお応え出来るよう頑張ります!という更なる覚悟の気持ちが芽生えます。

カッコイイ大人とは?

自分の好きな事を継続し、努力し、やり遂げている方、仕事であっても趣味であっても何かに没頭して夢中になれることがある方にカッコ良さ、魅力を感じます。具体的な職業だとスポーツ選手、音楽家、研究者のような方を心から尊敬します。子供の時にどんな風な大人になりたかったかなと、今、こうして考えてみると正直、何も考えてない子供でした。自然に年を重ね大人になってしまったなぁという感じです。この年になっても、子供の時と同じようなキャラクター物を好む童心もあり、体は成長し年を重ねているのに、心は成長したのかなぁ…ありのまま、自然のままに大人になってしまいました。カッコイイとは他人が評価する事で、もし、どなたからカッコイイと言われたらカッコイイ大人になったと言うことなのでしょうかね。そうなれるよう、歯科医として今ある信念を貫き努力継続していきたいと思いました。

今後の展望

日本人の歯の予防啓蒙はもちろん活動し続け、日本人の歯の予防意識が定着したら、後進国の方々の歯に対する意識向上、予防啓蒙活動をしたいです。そして、もし、自由になる資金が持てるようになったら、スポーツ選手、音楽家、研究者のために支援したいです。

若者へのメッセージ

私は旅好きであちこち世界に行っておりますが、やはり日本が1番好きです。世界に行ってみると、日本の良い所、悪い所、日本人の良い所、悪い所を改めて感じます。井の中の蛙大海を知らず、百聞は一見にしかず。まさに日本の若者には日本だけに固守せず、グローバルな視野を持って欲しいです。そして、人生100年時代です。歯を大切にし、100歳でも何でも食べられる歯でいて欲しいです。

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お気に入り

直筆サイン入りCD

ギタリストの村治佳織ちゃんは同じ台東区出身、中学高校が一緒の後輩、友人なのです。彼女のギターの音色にいつも癒されています。先程、カッコイイ大人とは?と質問されましたが、彼女こそ、私の憧れ、カッコイイ大人でした。ギターの才能だけでなく、容姿淡麗、飾らない性格も大好きです。それに何より彼女は字がキレイですから、なお惹かれます。

亡くなった祖母が使っていた指輪

祖母が大好きで祖母も私を可愛がってくれました。本当に温かく優しい人でした。戦争中や戦後、近所のお腹の減る子供達に祖母はいつも気にかけ食物を分け与えていたようです。叔父が同窓会に出向いたある日、友人から今、生きているのは祖母のお陰だと涙ながらに話されたそうです。それから毎年、気持ちにと叔父宛にその友人が作った桃が送られて来たそうです。徳を積むってこうやって返って来るのだと感じました。また、祖母が亡くなった時には、沢山の方がお花を送りたいと申し出て下さり、飾りきれないくらいのお花で囲まれたお葬式になりました。「山梨中のお花が品薄なのだけど、どなたか政治家の方でもお亡くなりになったのですか?」と、後にお花を贈って下さった方がお花屋さんにこう言われたと話して下さいました。祖母は常日頃から「人にはよくしなさい。」と申しておりました。祖母のように人に愛される者になれるよう、今も祖母の写真を持ち歩き、祖母の指輪を大切にしております。