1959年生まれ、北海道出身。東海大学工学部卒業。建設会社に27年間勤務し、主に海洋土木の現場施工に従事する。北方領土の国後島で桟橋工事を経験したことが、どんなことも不可能はないということを実感させるきっかけになる。
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
前職の会社で北海道中小企業家同友会という組織に所属していました。経営者が勉強し、良い会社、良い経営者を作っていくための組織です。その前職の会社を一昨年の8月で退職することとなり、同友会の事務局に退職の報告と、同時に会員の退会を申し出に行ったのが今の仕事に至ったきっかけです。同友会では組織企画委員会の委員長をしてましたので、退職=退会で委員長不在となるところでした。私でなくても委員長になれる人がいるのですが、誰もしたくなかったのでしょうね。委員会の仲間達が私を退会させないために、あの手この手で後押ししてくれました。その結果、弊社の起業と委員長の継続となりました。
儲けることだけにこだわってはいけないと思っています。人に喜ばれ地域に貢献してこそ仕事をしてると言えるからです。その積み重ねが信頼となり、必要とされる会社になるのです。それから大切な対価をいただくことになります。対価を戴く以上はその道のプロでなければいけません。どんな小さなことでも、この会社に頼むと安心だと言われる会社にしたいですね。どちらかというと今の仕事は、長年やってきた業種とは畑違いかもしれません。しかしやったことがないから出来ないとか、自身がないとか言ってしまえばお客様に対して失礼ですよね。どんなことでも誠心誠意向き合うのが仕事だと思っています。
40歳のとき国後島に桟橋改修工事の現場代理人として21人を引き連れ現地に入りました。条件としては、生活は船上(起重機船)で、60日間の工期、国後では現地から水の一滴も貰ってはいけない、全て日本からの物資で生活、現場施工をするという全く想像すら出来ない困難極まる任務でしたが、工事も後半に差し掛かるときに大きな台風が来ます。ここでは防波堤がないため海のうねりをまともに受けることになります。起重機船、曳船、資材を積んだ台船の船団でしたが、台船を引っ張っていた曳船から、「もう船が持たないので、ロープを切らせて欲しい」と夜中に連絡を受けました。ロープを切るということは、曳船は単独になるので助かるのですが、台船は漂流してこの工事は終わってしまう。ということです。決断をせがまれたとき、起重機船の船長から思いもよらぬ言葉が。「曳船のロープを取りに行ってこの船に繋いでみる」と。ものすごいうねりの中、決死の覚悟でロープを取りに行きました。一歩間違えばと思うと本当に恐かったです。
何事からも逃げない人だと思います。そしていくつになっても夢を持っていたいですね。誰でも50歳を超えると歳をとるのが恐くなりますよね。でも、もう歳だからと言ってしまえばそこでゲームセット。歳のせいで諦めてしまうのではなく、また、歳に合わせた夢を持つのでもなく、無限大に広がる楽しい夢を語り、実現して行けるジジィになりたいです。「ジジィ」という文字、単に老ける感じじゃなくて、ちょっと御洒落じゃないですか。若い人から憧れられるジジィになりたいです。
現在、中小企業家同友会オホーツク支部で組織企画委員長を仰せつかっています。オホーツクは大自然に恵まれ、空気や食べ物が美味しく、そしてなにより自然災害がほとんどない地域です。人ごみの満員電車で通勤しなくても玄関から玄関まで車で移動できます。都会で働かなくても今ではリモートで仕事が出来ます。オホーツク海や知床連山を眺めながらの仕事は素晴らしい企画に繋がるでしょう。しかし、徐々にオホーツクの人口が減ってきています。都会からの移住も手掛け、この地にもっともっと産業を増やし雇用できる環境を作って人口を増やす。これが今の夢です。
やんちゃもいい、反骨心もいい。かえってそういう若者のほうが気骨があっていいのかもしれません。学校の勉強ができる頭より、人への思いやりや優しさの心が人生で一番大切だと思います。人の悲しみを感じることができる人は、人を幸せにできます。なによりも人を大切にしてほしいと思います。利他の心は必ず自分も幸せにしてくれます。なりたい職業よりなりたい人生を歩みましょう。
パワーストーンが好きで、13年前に仕事が運がよくなりますようにと購入しました。石のパワーって感じてます。
13年くらい前から健康保持の為飲んでます。最近はこのサプリの他にNMNというサプリも飲み始めました。血管年齢が20代って言われました。