浅香山中学校卒業。飲食業や様々な職種に携わった後に建設業界の道に進む。その後、自身23歳の時に個人事業主として建設業で独立。28歳の時に株式会社新栄建設を設立。アスベスト除去工事やダイオキシン類対策工事を中心に関西や四国、全国での工事実績がある。
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元々は調理師になろうと思っていました。居酒屋とラーメン屋でも修行をしていましたが、「なぜ日曜日にご飯を作らないといけないのか?」と思ってしまい、建設業の道に進むことになりました。周りが建設業の人が多かったので、助け合いではないですけれど、力を合わせてできることもありますし、自分の営業、コミュニケーション力1つでなんとでも広げていけることは面白いですね。飲食であればくるお客様を待つだけなので、建設業であれば待つこともできるし、自分からいくこともできることが魅力だと思います。
元々お世話になっていた会社が「協栄工業」だったのですが、僕自身そちらに助けてもらったので、「新しく栄えていく」ということで一文字もらって「新栄建設」という会社名になりました。「新しいことをどんどん探していこうや」という想いで、結局同じことだけを続けていても人間無い物ねだりなので、何でも新しいことに挑戦しようという想いでやっております。
独立して大きな損失を出した時に、「覚悟を決めて立ち直っていこう」と決断をしました。25歳の際に従業員を連れて1つ現場を頂いてやったのが失敗でした。言い方悪いですけれど、簡単にお金稼げるなと思っていた部分もあったので、本当に仕事を舐めていたなと思います。「何でもそんな甘くないんやな」と思ったのはそこからです。この失敗が全てを変えてくれたと思います。
自分という芯を貫ける大人がカッコいいと思います。「あの人かっこいいな、この人もかっこいいな」と周りに流されるのではなくて、自分がかっこいいと思った人に真っ直ぐ進める人が1番かっこいいと思います。協栄工業の社長が僕のことを助けてくれたのですが、「なんで僕なんですか?」と聞いたら「何かわからんけどお前から可能性を感じたから」と言ってくださって、「すぐに抜かしますよ!」と言えるような、ある意味で生意気を言わしてくれる人、恩人ですね。
常に新しいことに挑戦し続けることです。安定を求めたら渋滞してしまうので、僕が先に進んでいかない限り、下の子らも進んでいけないので、チャレンジし続けることが自分の芯を貫けることかなと思います。追いついたら守ってもらっていると思えなくなると思います。チャレンジし続けないといけないのかなと思います。
時代背景的にもチャレンジする人が少なくなっているなと感じます。馴れ合いではなく、失敗することを恐れずに、失敗をして成功を得て、一人前の大人になってもらいたいなと思います。一緒にチャレンジしていきましょう!
出張のお供に欠かせないです。
分刻みのスケジュールの日もあるので必須アイテムです。