1980年 順天堂大学医学部卒業。
同大学内科学講座に入局後、同大学医学部附属病院にて豊富な臨床経験を積む。
1993年より現職。日本内科学会評議員、日本糖尿病学会学術評議員、東京都糖尿病協会会長、東京内科医会会長、日本糖尿病協会理事、日本糖尿病療養指導士認定機構理事を歴任し、現在、日本臨床内科医会副会長、東京糖尿病療養指導士認定機構代表幹事、東京内科医会名誉会長、日本リウマチ学会評議員。東京都医師会生活習慣病対策委員会委員長、東京都糖尿病医療連携協議会副会長、日本糖尿病対策推進会議委員。
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私の父が外科医で自分もずっと医院にいたので患者さんに遊んで頂く環境で育ったので医者になるのは当たり前でした。ただどういう医者になりたいかと考えており、当時親友たちと将来、医者としての具体的な理想像を話し合い日本一の開業医になりたいという目標を掲げました。常に患者さんが充実した人生を歩んでいけるように健康面でいかにサポートしていけるかを考えております。
私が子供の頃から思っていた日本一の開業医とは、大金持ちになるとか、日本医師会の会長になるとかではなく、通院患者に私がかかりつけ医として係ることで、患者が元気に充実した人生を全うしてもらえることができるかどうかという一点につきます。開業医となって26年が経過しましたが、その方法に確信を持てました。私が診ている患者は体力的にも元気で寿命が長く、寝たきりになる率も少ないことを自信を持って断言できます。その根拠は、専門医として糖尿病、高血圧、脂質異常症、高尿酸血症の適切な治療はもとより、喫煙率が9%と著しく低く、がん検診受診率が大腸がん85%、前立腺がん90%など2倍以上高いこと、骨粗鬆症のチェックもほぼすべての女性にしており、治療が必要な患者の大半に治療を行っており、筋トレなどの運動指導も私が直接指導していることもあって、新規の心筋梗塞の発症、骨折の寝たきりはこの4年間皆無の状況です。これには、私だけでなく、当院の管理栄養士、8名いる糖尿病療養指導士によるチーム医療と医療連携の成果であると自負しております。多くの役職を歴任した過程で、多くの素晴らしい医師との出会いもありました。大学の同窓会の理事なども経験し、私の専門外のところは、責任をもっていい医師を紹介できる体制を作ることができました。高齢女性の最も気になる病気である頻尿も重要だと思っており、積極的に対応しております。
人生は覚悟の連続だと思いますが、強いていうなら患者のための月例講演会と練馬区医師会医学会での発表を25年前から始めたことです。開業医になり1年経ったころ始め、前者は昨年の11月に300回に達しました。糖尿病を中心に、生活習慣病に係ること、運動、食事など広範な話をしてきました。常に、最新の話をするために多くの学会、講演会に参加し、書を読み勉強してきましたが、モチベーションを保てたのはこの会を楽しみにされている多くの患者さんのおかげです。この会でがん検診の話を聞いて、すぐに受診し早期がんがみつかった患者も少なくないです。これが糖尿病協会の活動の始まりであり、練馬区医師会医学会では毎年、実臨床に係る発表を行っていたが、これがもとで東京内科医会の役員になりました。現在は日本臨床内科医会という全国1万5千人の実地内科医の組織の副会長として尽力していますが、大変ためになる会だと思っております。私が今あるのはこの会で多くのことを学んだおかげだと思っており、若い先生方、女性医師の先生にも是非ご入会をお勧めしたい。
多くの人に影響を与えることができる人です。私は日本臨床内科医学会の会長講演で3Bと2Cの話をしておりますが、全国のかかりつけ内科医が患者に実践してくれれば、日本の健康寿命は延びると思います。皆が実践し浸透していくことで自分自身カッコイイ大人の理想像に近づくと感じております。
啓発活動を継続していきたいです。3B&2Cの部分に合わせてもう一つのCであるコミュニケーションの部分を啓蒙していきたいです。社会参加の意義をより見出していくのと合わせて私が行なっている、患者会をより地域に結び付けられる組織として確立していきたいです。そういった活動を続けていくことで元気なお年寄りが増える社会を作っていきたいです。
今があるのは、誰かのおかげだということに感謝してほしいです。幼児、小学校、中学校、高校、大学、社会人になってからも今は疎遠になっていてもその人のおかげで、その時代を楽しく生きることができた筈です。いかに自分自身が周りに影響を与えているのかという部分を認識し、感謝と自覚を持って頑張ってください。
37年前、結納の時に頂いたもです。オーダーメイドで生地は英国製です。このインタビューでも着用しています。
靴は高価でしたが、足によくフィットし、丈夫で長年に渡り使用できる一生物と思っています。