覚悟の瞬間(とき)

だんらん住宅 代表 山本達也
やまもとたつや

山本達也

大阪府生まれB型
職業:だんらん住宅 代表
趣味:読書
座右の銘:念ずれば花開く

大学卒業後、大手不動産会社に入社。その後数社を歴任後、独立。30歳で倒産、一念発起して会社を再度立ち上げるも、37歳で脳梗塞で一時半身不随に。現在、不動産会社を経営。他にも取締役に就任している会社数社あり。

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来歴

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幼少~学生時代

幼少期(幼稚園・小学校)の私はどちらかと言うと内向的なおとなしい少年だったと記憶しています。そのため、「いじめっ子」によくいじめられました。でもある時にそのいじめっ子と対決し、なんと相手を泣かせてしまうほど勝ってしまい、それ以後は誰にもいじめられなくなりました。中学校・高校の6年間はバスケットボール部に所属し、日々練習に明け暮れていました。どちらもバイスキャプテンとして活躍していました。また、大学時代はアルバイト三昧で、ほとんど大学には行っていませんでした(笑)。考えると、今よりもお金持っていたと思います。

社会人時代

私は就職活動というものをほとんどしませんでした。アルバイトの延長で飲食店に入ろうと思っていたのですが、あるお客様からの一言で変わりました。「男は昼で勝負できないと男じゃない」この一言でした。大学卒業まであと3ヶ月、平成元年の1月に某大手不動産会社の「中途採用」に応募し、何と採用されたのです。その後、異色の新人として変人扱いされました(笑)しかし、入社1年で主任に昇格、係長昇進確実と言われていた3年で退職しました。利益主義でお客様満足を考えない社風に嫌気が差したからでした。その後、先輩の設立した会社やハンティングを受けた会社数社を、営業マンや役員として渡り歩きました。

起業のきっかけ

実は私は2度、起業しています。1度目は平成8年に設立したのですが、あえなく倒産しました。負債額は法人としては数億円あり、個人でも数千万円ありました。家族もあり、元々の取引先の社長に事情を説明し、その会社の物件売却を請け負うことになりました。必死でした。ある時その社長から提案いただき今の会社、だんらん住宅が出来たのです。「もう一度会社を作って再チャレンジしてみないか?」と言う提案でしたが、実は最初はお断りしたのです。するとその社長から「アメリカでは一度失敗した経営者に投資するんだぞ。どうしてもう一度やらないんだ。俺の目が間違いだった。山本とはそんなに器の小さい男だったんだ!」と言われ、涙が出ました。『自分を必要としてくれる人がいるんだ、よしもう一度やってやる!』再起の瞬間です。

覚悟の瞬間

2度目の会社設立と、病に倒れたことが私の「覚悟の瞬間」です。再チャレンジして、会社を設立しましたが、資本金がありません。前述の社長から1000万円全額を借入れ、必死で営業しました。その甲斐あって1年で1000万円全額を返済できました。後にわかったことですが、その社長はご家族の大反対を押し切ってまでの私への投資をして下さったと社長の奥様から聞かされ、また涙でした。病とは平成16年の暮れ、「脳梗塞」で半身不随に・・・奇跡的な脅威的回復(担当医の言葉です)で四肢の障害もほとんど無く、現在に至っています。生かされている意味を深く感謝できる自分になりました。

今後の目標

当社は大阪で不動産売買を主業務として日々活動しております。昨今、不動産不況で多くの不動産会社は経営に苦しんでいる中、おかげさまで当社は順調です。本当の顧客主義を常に考え、お客様の安心と信頼・満足をどうすれば提供できるか、この命、これから先どう使って生きていくのか。どうせやるなら、お客様に喜んでいただく仕事を常に経営の中心に据え日々活動しています。「だんらん家族実現業」が当社の仕事であり、「夢・誠実・安心」が当社の商品です。具体的な数値目標はここではあげませんが、『大阪できらっと光る会社』を目指しで日々精進してまいります。

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お気に入り

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かばん

はっきりした色が気に入って購入しました。暗い場所でも目立つので他人のかばんと間違えることはありません。