私のカクゴ

アテネ五輪競泳金メダリスト 柴田亜衣
しばたあい

柴田亜衣

徳島県生まれO型
職業:アテネ五輪競泳金メダリスト
趣味:美味しいものを食べに行くこと
座右の銘:あわてず あせらず あきらめず

大学4年時に出場したアテネオリンピック800m自由形で、五輪での女子自由形種目、日本人初の金メダルを獲得。2008年、北京オリンピック出場後に現役を引退。現在は水泳教室や講演会などを通じて、水泳やスポーツの振興のために全国的に活動中。

オフィシャルブログ

来歴

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幼少~学生時代

小・中・高、そして大学と、とにかく水泳一色の毎日でした。私が水泳を始めたのは3歳のころでした。一緒に通っていた姉のようになりたかったんだと思います。どんどんうまくなっていく姉をうらやましく思っていました。姉の背中を追いかけていたのですが、自分も試合に出るようになり、気付けば自分自身の記録に挑むようになっていました。誰かに負けていてもベストであれば満足でしたし、1秒でも、0.1秒でも速くなることが楽しくてしょうがないという感覚でした。水泳ばかりの毎日だったので、学校の友だちと遊ぶ機会は普通の子に比べると少なかったと思います。練習が休みの日曜日には、水泳のことを忘れ、友だちと日が暮れるまで遊んでいましたね。

競泳の道へ進んだきっかけ

姉の真似をして始めた水泳でしたし、かっこよく思っていた姉の背中を追いかけていたのですが、自分も試合に出るようになり、気付けば自分自身の記録に挑むようになっていました。誰かに負けていてもベストであれば満足でしたし、1秒でも、0.1秒でも速くなることが楽しくてしょうがないという感覚でした。そこから競泳の世界に夢中になっていきました。

ターニングポイント

ターニングポイントはアテネオリンピックです。あの時の結果がなければ、22歳で水泳はやめていましたし、今のお仕事をする事もできていないかもしれません。メダルを獲った当時は、講演などの依頼をいただいても「できません。」とお断りしていました。「メダルを獲っただけなのに、私のような人間が講演をしたり水泳教室をしたりするべきなのか?」という疑問を抱いていたからです。たくさんの応援をいただいて獲得できたメダルなのにも関わらず、そんな考えを持っていた自分をとても恥ずかしく思います。実際にいろんなところへ行かせていただくようになってからは、直接子どもたちや選手たちに「水泳が楽しくなった。」「オリンピックを目指します。」などという声を聞くようになり、その度にと嬉しくてたまらない気持ちになります。メダルを獲ったからこそ今の自分がいるのだと強く思っています。

覚悟の瞬間

覚悟の瞬間は北京オリンピックの選考会の時です。正直、選考会に挑む前は北京オリンピックには出られないと思っていました。ダメだった時のことばかりを考えていたので「いけない覚悟」をしていたのかもしれません。そして挑んだ選考会。最初に出場した400m自由形はやはり代表権を得ることができませんでした。それから次の種目までの4日間、他の選手を見ていて感じたことがありました。オリンピックは、誰かに「行け」と言われて行くものではなく、自分が「行きたい!」という気持ちをしっかり持って挑むものだということ。それに気付くことができた私は、「行きたい、行くんだ」と強い覚悟を持って800mのレースに挑む事ができました。結果、北京オリンピックの代表権を獲得することができました。

今後の目標

これからはできるだけ多くの方々と泳いだり、水泳教室をさせてもらったり、水泳ファンを増やしていきたいなと思っています。私は頑張ること・諦めないこと・目標を持つことなど、いろんな事を水泳から学びました。また、水泳を通して、いろんな人たちと知り合う事ができ、人として成長できたと思っています。そんな経験を、子どもたちに伝えて、スポーツの良さを知ってもらえればいいなと思っています。

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お気に入り

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温泉が大好きなのですが、毎日は入れないので・・・(笑)お風呂にゆっくりつかるのが好きです。やっぱり「水」が好きなんですよね。疲れると温泉やお風呂に入り、体をリラックスさせます。

スイミングアイテム

人生の中でなくてはならないアイテムです。高校時代は恥ずかしくて派手な水着は切れなかったのですが、大学からは逆に派手な水着を着てテンションをあげるようになりました。今は練習用と試合を分けている人がほとんどですし、変えることによって気持ちも変わります。