覚悟の瞬間(とき)

東京外語大学教授 伊勢崎賢治
いせざきけんじ

伊勢崎賢治

東京都生まれA型
職業:東京外語大学教授
趣味:音楽鑑賞
座右の銘:銘など持ちません

東京外国語大学大学院教授(紛争予防と平和構築講座長)。内戦初期のシエラレオエネを皮切りにアフリカ三カ国で10年間、開発援助に従事し、その後、東チモールで国連PKO暫定行政府の県知事を務め、再びシエラレオネへ。同じく国連PKOの幹部として武装解除を担当し内戦の終結に貢献する。その後、アフガニスタンにおける武装解除を担当する日本政府特別代表を務める。 著書『紛争屋の外交論』(NHK出版)、『武装解除紛争屋が見た世界』(講談社現代新書)など多数。

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来歴

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幼少期~学生時代

母子家庭で、米軍基地の町である立川で生まれ育ちました。中学校の時に全国絵画コンクールで金賞、銅賞を受賞をし、先生から美大を勧められていました。しかし、建築家になるため早稲田の建築学科へ入学をし大学院まで進みましたが、建築学はあんまり人の役に立たないんじゃないかと悩み、途上国のスラムの問題を研究しようとインドへ向かいました。

現在の道へ進んだきっかけ

インドでスラムの居住問題を研究するつもりが、そこの住民運動を率いる羽目になりました。結果、40万人の住民組織をつくりあげ、インド政府に数々のデモ、実力行使に成功しました。

覚悟の瞬間

インドの後に渡ったアフリカのシエラレオネで、赴任中、内戦が起こりました。この国最大の開発援助を指揮していたので、活動を撤退するか否かの決断に迫られました。また、住民が希望を失って大量難民化するのが分かっていたので、私は撤退をしました。内戦はこの後10年間続き、50万人が殺されました。丁度9年目に、この内戦を止めるために国連からの依頼で武装解除の責任者として現地に戻りました。開発援助をやっていた頃建設した小中学校で教育を施した児童の多くが少年兵になって人々を殺した事実に触れ、日本に落ち着く決心をしました。しかし、今度は日本の外務省からの依頼でアフガニスタンで武装解除をする羽目になり、外交官として現地日本大使館に駐在しましたが日本政府の危機管理能力の不在に驚き、今度こそ死ぬかもと思い、思い残すことがないように、子供の頃から憧れていたトランペットを始めました。

今後の目標

ジャズトランペッターのプロとして、お金を頂くようになって2年が経ちました。とにかく自分の個性を音色とアドリブで出していきたいです。

日本のアカルイ未来のために

今の若い人たちは、とにかく志が高すぎます。僕らの若い頃にはまったく気にもかけなかったです。例えば、アフリカの子供たちを憂い、それをどうにかしたいとキャリヤを真剣に考えています。NGO、NPOに対する興味も凄く、とにかく社会性、国際性にかけては戦後のどの世代よりも優れた感性を持っていると思います。「イマドキの若いもんは!」なんて、口が裂けても言えません。そういう興味と感性が、ちゃんとした生業になるキャリアのインフラが残念ながら日本にないのは君たちの責任ではなく、すべて、僕たち大人の責任です。

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お気に入り

トランペット

毎日練習しないとライブできないので、どこにでも持ち歩いています。アフガニスタンの武装解除の現場や、インド、パキスタン国境の領土紛争地カシミールにも肌身離さず持っていました。もちろんハードケースも必須です。

腕時計に付属するコンパス

国連PKO時代、よく乗っていた武装ヘリが敵地に墜落し、生存していた時に間違った方向に逃げないよう身につけ出しました。それ以来これがないと不安になります。