覚悟の瞬間(とき)

参議院議員 佐藤 正久
さとうまさひさ

佐藤 正久

福島県生まれO型
職業:参議院議員
趣味:ジョギング、散歩
座右の銘:無意不立

1983年、防衛大学校(27期・応用物理)を卒業後、1984年第4普通科連隊(帯広)に入隊する。1988年、米陸軍指揮幕僚大学(カンザス州)を卒業。1992年、外務省アジア局出向。1994年、第5普通科連隊中隊長(青森)に任命される。1996年、国連PKOゴラン高原派遣輸送隊初代隊長、2004年イラク先遣隊長、復興業務支援隊初代隊長となる。2007年、参議院議員(全国比例区)当選し、2013年の任期満了まで全力疾走を誓う。

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来歴

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幼少~学生時代

私が生まれ育ったのは福島県の中でも田舎の方で、大変風が冷たい地域でした。積雪も多かったので、父に秋の終わりから春先にかけて東京へ出稼ぎに行っていました。当時周りの家はほとんどそうでしたね。村の神社に集まって友だちと遊ぶのが常でした。その合間に農作業の手伝いを必ずしていましたね。学生時代はフィールドホッケー部に所属しており、勉強の傍らでいかにチームを強くして、勝利を勝ち取るかを考えていました。

自衛隊の道へ進んだきっかけ

もともと原子力の勉強がしたいという思いがあり、東北大学への進学を志望していました。しかしながら、経済的な理由で志望通りに進学することは難しく、防衛大学に入学することとなります。入学した防衛大学では「核防衛」の分野を専門に勉強していました。幹部候補生学校を卒業した後は3尉として陸上自衛隊に配属され、最初は小隊長としてのスタートとなりました。いろんな方の価値観に触れる中でリーダーシップや命、国防などのテーマについて自分の考えを磨き上げていきました。その時に私は「最初からガチガチに固い頭を持っていると、伸び悩むことがある」ということを学びました。焦らずに本物を目指すことが肝要だと思うようになったのは、この時からでしたね。

印象に残っているエピソード

外務省に出向している時に、ODA(政府開発援助)やカンボジアPKOに従事したことがありました。現地で任務を行っている中で、改めて日本の良さに気付かされた私がいました。これほど平和で安全で繁栄を謳歌している国民はいないと強く思い、「日本の良さ、日本の価値観を守らなければならない、その気持ちを自衛官は持たなければならない」という自分の軸を持つようになりました。

覚悟の瞬間

2003年イラク戦争初期に復興業務支援隊の初代隊長としてイラクへ派遣されることになりました。派遣に向かう前、私が自衛隊幹部から忠告されたことは「郷に入っては、郷に従え」の一言でした。その時には要領を得なかった私ですが、実際に現地に入ってみてその言葉の本当の意味が分かりました。現地に溶け込まなければ、現地で信頼をされなければ、任務達成はおろか安全確保すらすることができません。「郷に入っては、郷に従え」この言葉の本当の意味を知った時が私にとって忘れられない覚悟の瞬間でしたね。

今後の目標

現場を知るからこそ、現場の痛み・つらさが分かるものです。国防の枠組みに関して、最終決定を下すのが政治なのであれば、現場が分かる人間が必ず必要となってきます。「防衛」は国民の意識から遠いところにあるものですが、国防というのは最大の福祉だと思っています。それを国民に伝えていくことが私の今の使命だと思っています。

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お気に入り

黄色いハンカチ

陸上自衛隊第2師団のイラク派遣が決定した時、地元の旭川の方々が隊員の無事祈る「黄色いハンカチ」運動を展開してくれ、市内には何百もの黄色いハンカチがなびきました。国民の皆さんの思いに感謝し、現在海外に派遣されている隊員の任務完了と無事を願い、いつも身に付けています。

奥克彦大使の名刺

イラク復興人道支援で共に仕事をした奥克彦外務省参事官からいただいた名刺。奥参事官は2003年11月29日、井ノ上一等書記官と共に銃撃を受け殉職されました。この名刺は、イラク復興にかける奥大使の魂であり、私と自衛隊の「闘い」の日々を見守ってくれたお守りとして肌身離さず持ち歩いています。