私のカクゴ

新内節三味線・人間国宝 新内仲三郎
しんないなかさぶろう

新内仲三郎

東京都生まれA型
職業:新内節三味線・人間国宝
趣味:書
座右の銘:知音

1984(昭和59)年に六代目、冨士元派家元・新内仲三郎を継承した。1994(平成6)年芸術選奨文部大臣賞し、2001(平成13)年新内節三味線で人間国宝となった。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少~学生時代

1940年大田区鎌田にて、父、角田竹之助(芸名:新内多賀太夫)母、角田志ず子の間に生まれました。幼少時代で印象に残っていることいえば5歳の時、東京大空襲で命拾いをした事です。母のおかげです。焼け野原にバラック小屋を建てて家族で住んでいた時、米軍の命中弾に遭い、私の頭の近くに不発の焼夷弾が刺さりました。その時父は外で見張りをしており、「来たぞ!」との声で母親が瞬時に私の足を自分の方に引っ張り、私は一命を取止めました。学生時代に熱中したことといえば、庭に花壇を作る事です。また、毎晩学校に行く前壁に向かって1時間、帰ってきてから1時間、いつも三味線の練習をしていました。

この道へ進んだきっかけ

母親のお腹の中から新内を聞いて生まれてきたような状態ですから、なんとなく心地良さを感じていたのだと思います。6、7歳のころでしょうか、父親と叔父の演奏を聞いて身の置所がなくなるほど、子ども心に興奮し三味線音楽の素晴らしさが分かり、早く父親みたいな演奏家になりたいと憧れました。東京大空襲で2度も家を焼かれておりましたので、母親が東京にいるのが嫌になり、リヤカーに荷物を積み家族で東京を離れました。私が小学校から中学まで埼玉県・羽生に住みましたがその間、長唄・端唄・舞踏などいろいろな稽古をさせていただき、町のお祭りの舞台で演奏したり、またお弟子さんと触れ合ったりする機会もありました。現在私の1番目のお弟子さんになってくださった方は健在です。このような出来事を通してさまざまな芸を知りました。

ターニングポイント

私が中学生の時、学校の講堂の落成式でお祝いの演奏した時の話です。直前に体調が悪くなってしまい、学校へ向かう事も難しい状況でした。何とか間に合い演奏はしましたが、頭も体もふらついて歌詞が分からなくなってしまいました。その時に「僕はプロになるのだ、ここであたふたしてはいけない」と強く思ったことを覚えています。この舞台をきかっけに私は進学ではなく、芸の道へ進むことを決断しました。親戚からは大学を出てからでも遅くないと反対されましたが、「一人前になりたい」という強い気持ちを持って内弟子になることを決めることとなった出来事でした。

覚悟の瞬間

浄瑠璃の中でも覚悟の瞬間は多く登場しますが、私にとっては頸椎の手術した時が覚悟の瞬間でした。1つ間違えば全身不随となる手術でしたので、大変不安を感じていました。99%成功したところでまさかのアクシデントが起こってしまい、手術3日後に再手術となってしまいました。手術前に先生が言うには「2度はできない」とのことでした。最初の手術は7時間、2度目の手術も7時間かかってしまい、最初の入院予定の倍の日数が経ち、やっと退院できました。また、内弟子に入門した時も覚悟の瞬間と言えるでしょう。中学卒業と同時に叔父に当る五代目家元に入門する時は、荷物は何も持っていかない約束でした。下着から靴まで、すべて師匠のお下がりをもらいました。入門をすれば叔父でなく師匠ですから、甘えは許されません。「どんなことがあってもやり遂げる」と覚悟を決めました。

今後の目標

重要無形文化財保持者の認定を受けた者として斯道の保護発展のため、広く後世の指導、新内の伝承断承・後継者育成に人力を尽くしていきたいと思います。新内は一般的にはマイナーな所があるため、とにかく皆様に知っていただく事が先決です。それには普及活動をしなくてはなりません。お客様が来るのを待つのではなく、自分で仕事を作っていかなければなりません。自分からお客様に近づくライブを行ったり、異分野の方とコラボレーションをしたりすることによって、古典をしっかり継承し、また発展させていくことが重要だと思います。三越劇場では新内仲三郎公演を毎年行っております。2010年は20周年の記念の会になりますが、その会で生まれた新しい新内の形がコラボです。スペインのフラメンコ、ポルトガルのファド、奄美の三線、中国の二胡、オーケストラ、越中おわらの「風邪に立つ仲三郎」、クラッシック、バレエ、洋楽など・・・。まだまだやりたいものがたくさんあります。

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お気に入り

三味線

このバチは5~6年ほど使用しております。象牙のバチです。このバチを磨いたり、削ったりしながら音を調節しております。稽古に関してはプラスティックのバチを使用しております。

爪切り

この爪切りは2代目となります。現在、35年ほど愛用しておりまして、他にもさまざまな爪切りを持っていますが最も愛着があります。