私のカクゴ

元シンクロスイマー 立花美哉
たちばなみや

立花美哉

滋賀県生まれO型
職業:元シンクロスイマー
趣味:舞台鑑賞(映画、劇団、舞台、スポーツなど)
座右の銘:挑戦する心

小学校4年生からシンクロを始め、中学3年生でジュニア日本代表に選ばれる。その後高校2年生から日本代表チームに選ばれ2004年アテネオリンピックを最後に、現役を引退。21年間の選手生活にピリオドを打つ。2001年福岡世界選手権にてデュエット金メダルを獲得。オリンピックでは、アトランタ、シドニー、アテネオリンピックを合わせ、銅1銀4 計5個のオリンピックメダルを獲得。現在日本女子最多のメダル数となる。現在は選手の指導、シンクロ教室、講演会、シンクロショーなどを通じ、シンクロ普及活動に努めている。

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来歴

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幼少~学生時代

子どものころはとてもシャイで控え目な女の子でした。小学4年生の時に母から勧められた習い事が「シンクロ」と「社交ダンス」の2つでした。結果どちらも始めたのですが、当時の私にとってはシンクロが大変面白く感じられ、そのまま夢中になっていきました。

シンクロの道へ進んだきっかけ

本格的にシンクロの道へ進んだきっかけは井村雅代コーチとの出会いにあると思います。小学生の時に通っていたシンクロクラブに、偶然井村コーチが指導に来たときの出来事は今でも鮮明に覚えています。体が硬かったため柔軟体操に苦しむ私に、コーチは「今やっておかなきゃ将来苦労するで!」と叱咤してきたのでした。その後、井村シンクロクラブに移籍することになり、井村コーチから直接指導を受けることになりました。京都から大阪まで通わなければいけなくなったため、中学時代は大変苦労しましたね。

ターニングポイント

私が初めてナショナルチームとして出場した大舞台での出来事です。結果は4位とメダルには届きませんでした。当時確かに私は若く、経験も浅いことは事実でした。しかしながら、コーチは「負けに若さや経験不足は関係ない。理由にならない。お前のせいだ。」と私を叱咤したのでした。日本代表であることの意味、それに値する「覚悟」や「技量」の必要性というものをこの時に痛感しました。

覚悟の瞬間

1996年アトランタ五輪では、団体種目で銅メダルを獲得。しかしながら、メダル獲得後のミーティングでコーチに尋常でない剣幕で叱咤されたのでした。「メダルを持って帰る資格はお前たちにはない。結果ではなく、それまでの過程が悪すぎる。」と言われ、私を含めたチームのメンバーの意識ががらりと変わった瞬間でした。それからシドニーに向うまでの経過はチーム4人で真剣に何回も話し合うようになりました。

今後の目標

選手を引退しさまざまなオファーやチャンスをいただき、1年を過ごしました。しかしながら、自分の道が決められず新たに自分を見つめなおすために渡米を決意。その後、2年悩みつづけ、最終指導者の道を選びました。現在の目標は、恩師である井村先生からいろいろなことを学びながら、指導者として成長することです。

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