私のカクゴ

中部大学 教授 武田邦彦
たけだくにひこ

武田邦彦

東京都生まれ不明
職業:中部大学 教授
趣味:歴史、熱力学、おいしくない食事をすること
座右の銘:日本人の誠

1962年都立西高等学校卒業、1966年東京大学教養学部基礎科学科卒業。同年旭化成工業株式会社に入社。1986年同社ウラン濃縮研究所長。1993年より芝浦工業大学工学部教授を経て、2002年より名古屋大学大学院教授、2007年より現職。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少~学生時代

幼少期から学生時代にかけては、体が大変弱く学校などは休み続けていました。中学校~大学までは行けて半分くらいで、高校1年の時にはまったく学校へ行けず毎日家にいるというような状態でした。定期試験だけ学校へ受けに行き、それでもだいたい学年で3位以内を維持し続けました。同級生からしたら不思議な存在だったと思います。特に歴史が得意で、歴史学者になりたいという夢を持っていました。しかしながら、当時スプートニク(ロシア)や「鉄腕アトム」など世には科学の波が押し寄せていたのです。理系もできないわけではなかったので、先生に勧められて理系の道へと進みました。

社会人時代

大学の主任教授に紹介されて、旭化成工業の技術者となりました。自分でもまじめで実直な研究者・技術者だったと思います。しかしながら、やはり体が弱かったので17時に仕事が終わってロッカールームへ戻ると、しばらくうなだれてしまって家に帰るのに時間がかかりました。体の調子は2年目以降にガラリと変わったことを覚えています。配属は電気化学で、塩をつくるのに塩田をなくして工場をたてていました。技術的にも社会的にも大きな影響を与えた出来事だったと思います。

ターニングポイント

社会人時代に学会で大阪へ出張したときの出来事です。夜になるといつもであれば同僚と一緒に飲みに行くのですが、その日はなぜか1人で部屋に残って論文を読んでいました。他の同僚が深夜に宿に戻るまで論文を読んでいたのですが、彼らの帰ってくる足音を聞いた時にふと思ったのです。「今までは自分のしたいことをしていたのではなく、人がいいと思うことをしていたんだな」と。その時がなんとなくターニングポイントのように思います。

覚悟の瞬間

30代後半~40代は半ば過ぎまで、旭化成でウラン濃縮研究に従事していました。これは新しい試みで、費用も300億という規模の大きなものでした。研究の過程で事故が起こってしまい、幹部陣がほぼ全員やめてしまいました。その後自分が研究所長となり、研究のかじをとることとなりました。所長になった時点で覚悟を決めていたと思います。ある会議の場で「本当にこの研究は成功するのか?」という質問を投げかけられ「失敗したら所長を退任する」と宣言しました。原子力に関わるものなので、反対運動もあり脅迫電話を受けることもあり、いつ襲われるのかもわからない状態でした。地元の理解を得るために、自治会の飲み会に参加したりもしました。

今後の目標

さまざまな「体験」を通して、おもしろさを感じていきたいと思っています。あと10年くらい、気楽にがんばっていきます。

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お気に入り

時計

偶然購入したのですが、この時計を買ってからいいことが起こるようになった気がします。

ネクタイピン

旭化成から大学に移った時に、会社のみなさんからいただいたものです。