私のカクゴ

元プロ野球選手 小宮山悟
こみやまさとる

小宮山悟

千葉県生まれO型
職業:元プロ野球選手
趣味:ゴルフ、ダーツ
座右の銘:粉骨砕身

芝浦工業大学付属柏高等学校卒業後、2年間の浪人生活を経て、早稲田大学教育学部教育学科体育学専修へ進学。六大学リーグ戦での通算成績は20勝10敗。140km近い速球はリーグ1を誇り、最終学年の89年には日米大学野球のメンバーに選ばれる。90年ドラフト1位で千葉ロッテマリーンズ(当時はロッテ・オリオンズ)に入団。ルーキーシーズンから活躍し、93年史上初の開幕から6連続完投勝利。97年最優秀防御率達成。2000年から横浜ベイスターズへ移籍。セ・リーグ2年目は、チームトップの12勝を挙げる大活躍。シーズンオフに、長年の夢「メジャー」をかなえるために、FA宣言。ニューヨーク・メッツと契約、日本人14人目のメジャーリーガーとなる。2003年に帰国後、NHKBS放送でメジャーリーグの解説者などを務めた後、2004年から再び千葉ロッテマリーンズと契約。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少~学生時代

小さいころから野球をやっており、高校生になる時にはもちろん甲子園に出場することが夢でした。その思いがあったことは確かなのですが、「甲子園は無理だ」という気持ちの方が大きかったんですね。だとしたら、ちゃんと勉強をしなければいけないと思っていましたし、まさか将来プロ野球選手になれるなどとは思ってもみませんでした。神宮球場で行われた試合を観たことがきっかけで、早稲田大学に行きたいと思うようになりましたが、一般入試以外での入学はありえなかったのが現実でした。結果、二浪をして入学を果たすことになります。

現在の道へ進んだきっかけ

野球をずっとやり続けていたので、いつも野球は私にとって近い存在でした。早稲田大学に入学し、1年生の春からレギュラーの練習に参加することができました。その中で、周りにも認めてもらえるようなピッチャーになっていきました。私の高校時代を知っている人からしたら、想像もできなかったことだと思います。次第にスカウトの人にも注目をされるようになり、プロ野球への道を意識するようになっていきました。

ターニングポイント

私にとってのターニングポイントは、ボビー・バレンタイン監督と出会えたことだと思います。1990年、ロッテオリオンズ(現千葉ロッテ)からドラフト1位指名を受け、1992年には開幕投手として任命をされました。しかし、チームの成績は低迷しており、監督が数年おきに変わる状態が続いていました。そして、次のシーズンに入って来た監督がボビー・バレンタイン氏だったんです。バレンタイン監督が指揮をとったシーズン(パ・リーグ)は2位という好成績で終えることができました。この結果は、実力のある選手がそろえば「勝てる」という証明だったと思いますし、1年でバレンタイン監督が解任されたのは今振り返ってみても残念なことでしたね。

覚悟の瞬間

1999年、千葉ロッテを自由契約となり、横浜ベイスターズに移籍をしました。その後、「もう一度ボビーと野球をしたい」という気持ちで、メジャーへ挑戦しました。帰国後は、現役復帰を目指す傍らで野球解説者などの仕事を行っていました。やがて引退を考え始めた矢先に千葉ロッテの監督にバレンタイン氏が復帰するという話を聞いたんです。直接本人に連絡をしてみると、「まだ投げられるか?」という質問が返ってきました。この瞬間に、再び千葉ロッテの選手としての野球人生が始まったのです。

今後の目標

これまでも「前向きな失敗」をすることを意識してきました。「やってみて失敗してしまった」と思うことの方が、「あの時ああしていれば・・・」という失敗よりもはるかに良いだろうと思っていたからです。これからも、やることがなくなるくらいいろんなことがしたいと思っていますね。

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ペンケース

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