覚悟の瞬間(とき)

レーシングドライバー 佐藤琢磨
さとうたくま

佐藤琢磨

東京都生まれA型
職業:レーシングドライバー
趣味:サイクリング、食事
座右の銘:No Attack, No Chance

1997年に鈴鹿レーシングスクールでスカラシップを獲得後渡英。2001年に海外でF3チャンピオンと輝いた史上初の日本人ドライバーとなる。翌年ジョーダン・グランプリからF1参戦し日本GPで5位入賞。2004年にはB・A・R HondaでアメリカGPにて3位表彰台に立つ。2010年からはインディカーシリーズに参戦。

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来歴

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幼少~学生時代

1977年、東京都で生まれました。両親の仕事柄、幼少期は1日のほとんどを保育園で過ごしていました。クルマに興味を持ち始めたのもこのころです。当時は片足で地面を蹴って進む「スクーター」(後のキックボードに類似)が大好きで、毎日園内を走り回っていました。1987年、鈴鹿で開催されたF1日本グランプリを家族で観戦して、衝撃を受けました。スピード、音、臨場感、何もかもが想像を絶する別世界でした。そして、黄色いロータス・ホンダを駆るひとりのドライバーに夢中になったんです。7番手からスタートして次々と順位を上げていった、アイルトン・セナ。そのレースを見た瞬間、彼が当時10歳の僕のヒーローになりました。

レーシングドライバーの道へ進んだきっかけ

多くのレーシングドライバーが幼少期からカートなどでレースをはじめている傍ら、僕にとってのクルマは自転車でした。高校時代には地元のプロサイクルショップを通じて自転車競技の世界を知り、いろいろな大会に出場したのち、高三で自転車部を創部して、念願のインターハイにも出場しました。大学に進学してからも自転車競技を続けましたが、どこか心の中で満足できないところがありました。そうした折に、鈴鹿レーシングスクール「SRS-F」の存在を知り、これをきっかけにモータースポーツの世界に飛び込むことを決心しました。

ターニングポイント

2004年のヨーロッパグランプリ。当時最速だったフェラーリのミハエル・シューマッハとポールポジション争いをして、予選最前列を獲得しました。レースも2位争いをしていましたが、ピットストップ後に3位に転落。その瞬間は本当に悔しかった。常にトップになることだけしか考えていなくて、自分には前しか見えていなかった。攻めて攻めて、絶対に2位まで追い上げられると信じていました。しかし、アタックは失敗。その数周後にエンジントラブルでリタイヤとなりました。結果は残りませんでした。しかし、自分のレース哲学を語る上で、なくてはならなかったレースだと思っています。

覚悟の瞬間

これまで様々な覚悟をしてきたつもりですが、インディカーシリーズに挑戦すると決意した事が覚悟の瞬間だと思います。2008年に所属していたチームが資金難によりF1を撤退、同時に僕もF1のシートを失いました。それからの1年半は本当に苦しいものでした。自分の力だけでもどうにもならない背景と様々な力が複雑に絡み合って、残念ながらF1復帰には繋がりませんでした。しかし、待ち続けるのはもう限界でした。今自分に必要なのは待つ事ではなくて、前に進むこと、レースを続ける事。挑戦し続けることでチャンスを掴み、新天地で自ら未来を切り開いて行くべきだと思ったからです。

今後の目標

初めてインディカーシリーズは、想像を絶する苦戦の連続でした。サーキット、ルール、マシン、これまでの環境とは大きくフィロソフィが異なりました。次々に起こるトラブル、そして失敗。こんなにイメージ通りにいかないシーズンは初めてです。しかし、見方を変えれば、本当に多くの貴重な経験を積めたということ。来期はそれらを活かしてトップ争いに挑戦したいです。

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