覚悟の瞬間(とき)

千葉静脈瘤クリニック 院長 河瀬勇
かわせいさむ

河瀬勇

兵庫県生まれA型
職業:千葉静脈瘤クリニック 院長
趣味:ギター、海外映画・TV番組鑑賞、スポーツ観戦
座右の銘:Ask not what your country can do for you, ask what you can do for your country.

防衛医科大学校医学部医学科卒業、亀田総合病院で外山雅章先生に師事し初期研修・心臓血管外科研修。亀田総合病院・心臓血管外科スタッフとして勤務したのち、1998年から米国クリーブランドクリニックやミシガン小児病院でクリニカルフェローとして研鑽を積み、帰国後、防衛医科大学校第二外科助手を経て、三重ハートセンター・苑田第一病院の心臓血管外科部長を歴任し、2015年に千葉静脈瘤クリニックを開設。現在、東邦大学医学部客員教授・亀田メディカルセンター心臓血管外科非常勤医師を兼任。

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

中学・高校時代は医師になるつもりはありませんでした。周囲にも工学部航空工学科を目指していると公言していました。母が看護師だったので、医療の現場は比較的身近にあったとは思いますが、幼少期に見た「白い巨塔」の影響もあって、医師という職業に嫌悪感さえ覚えていた気がします。大学受験では東大に合格しましたが、当時実家が経済的に危機的状況にあり僕が養子に出ることでそれを解決できるという事態になって、結局養子に出ました。養子先には経済的にいろいろ恩義を受けたくないという意地もあって、もう一つ合格していた防衛医大に進みました。何せ、すべて無料でしたから。その時は、「専門家じゃなくても、広く人のためになる”医師たる幹部自衛官”も素晴らしいじゃないか!そんなオールマイティーな人間を目指すぞ!」と決意したはずでした。ところが、勉強が始まるとやはり好みの部分が出てきて、医学の中では「循環器」に大変興味を持ち、それなら、直にそれを見て触れられる「心臓血管外科医になりたい」と思いました。当時の防衛医大の心臓血管外科はレベルが低く、もとより自衛隊自体には心臓血管外科というものの必要性もどうかという部分もあり、循環器内科に落ち着こうかと思っていました。大学6年の時に亀田総合病院の見学の機会を得たのち、一大決心で、亀田総合病院が保証人になって銀行から借りた3600万円を償還金として国にお支払いして、外山先生に弟子入りしました。それから、25年ほど常に自問自答しもがきながら、兄弟子の天野篤先生のような遠くから患者さんが集まってくるような心臓外科医を目指しました。しかし、50歳になり老眼も始まって、それなりの手術はできても極めて高いレベルに至っていない自分がそこにはあり、芸術家などと違い患者さんの健康を守らなければいけない医師が自分の夢にしがみつくのはここまでと判断し、自分のできることで最大限社会に貢献できるものということで、心臓血管外科の守備範囲でもある下肢静脈瘤の専門クリニックを始めました。

現在の仕事への想い

下肢静脈瘤は有病率の高い疾患で潜在患者数は非常に多く国内で1000万人ともいわれます。ただ、疾患自体の特徴として、生命や下肢全体の危機的状況につながることはまれであり、り患していても放置されることが多く、それでも問題にならないことがほとんどです。症状としては、まず見た目に足の表面に血管がボコボコと浮き出ますから気になりますし、血液のうっ滞によってむくみやかゆみ・痛みなどを伴ったり、こむら返りが起きやすくなったりもします。皮膚病変の出現はだいぶ進行している証拠です。このようなことから、この疾患で悩んでいらっしゃる方も多いのですが、危険な状況に陥ることがほとんどない疾患ですので、重症患者さんで忙しい大病院では(あくまで私の経験による私見ですが、)後回しにされがちです。2011年に下肢静脈瘤に対する血管内焼灼術の保険収載が認められ、これを専門に扱うクリニックが増えました。そのようなタイミングもあって、僕も千葉静脈瘤クリニックを開院したのですが、とてもやりがいがあります。予想通り、どこにいっていいかわからなかったという患者さんも多く、うちに来て治療する前からホッと安心される方も多くいらっしゃいます。もちろん、治療が終わり足が楽になってさらにきれいになれば、とても喜ばれます。そういった一連の流れをすべて自分の采配で自信を持ってできるのですから、まさに仕事をしている実感を感じられています。また、職員をかかえ、みんなに給与を振り込むときなどにしみじみと心地よい責任の重さを感じています。もちろん、勤務医時代にはなかったことです。仕事で大事にしていることは、危険な病気ではない下肢静脈瘤を扱うのですから、とにかく「安全第一」、そして、個々の患者さんの「それぞれのニーズ」をよくお伺いし実現すること、です。要するに、「安心安全のテーラーメイドの下肢静脈瘤診療」を心がけています。

あなたにとって覚悟とは

僕は、正直、この「覚悟の瞬間」という番組にはふさわしくないんじゃないかと思っています。僕は、先にも述べたように、超一流の心臓血管外科医を目指して50歳で挫折した人間です。数年前にたまたま、坂東玉三郎さんのインタビュー記事で「伸びる人と伸びない人の違いはなんでしょうか。」との問いに、「『意識』の差でしょう。意識さえ高ければ必ず技術は習得するでしょうし、品格ある生活を送るでしょう。」と答えられたというのを読みました。そのとき、僕はつくづく「『意識』が低かったんだなー。」と思いました。つまり、覚悟を十分していなかったんだと思います。だから、大きな目標は立派に持っていたのかもしれないけど、ところどころの細かいけど大事な選択で逃げや甘えがあったのかもしれないと思い当たるところもあります。実際、先に述べた東大に進学しなかったことにしても、金銭的な理由が大きかったのは確かだけど、東大に入ってから航空工学(天文)に進む自信がなかったのも確かで、体よく苦難の道を避けた節もあるわけです。さて、今回の静脈瘤クリニックの開業ですが、これは、ある意味、覚悟してのことかもしれません。僕のことを頼りにしている人たちが何人もいる状況があり、職業の内容としても僕にとってはいわば「できて当然」の状況で、失敗が許されないことですのでそれなりの覚悟をしました。しかし、同時に自信はありましたので、胸の中にはワクワク感がいっぱいでした。

カッコイイ大人とは?

僕は今54歳です。僕が思う「カッコイイ大人」は、必然的にそれ以上のイメージななってきます。大人と言っても、30代、40代、50代、60代、70代、80代、90代、100歳以上と、それぞれあり方やあるべき姿は違うと思います。今、僕は、「カッコイイ大人」と聞かれれば、「自分の周囲の人達を幸せにできる人。」と答えたいです。なぜなら、それが、今一番、僕が生活しながら、目指していることだからです。立派な心臓血管外科医として活躍することを目指していた時期は、「とにかく一つのことに長けていて人々に頼りにされる、そんな職人気質の名医」を目指していたような気がします。当時は、周囲の人のことは、(気遣う素振りはしていたかもしれませんが、)あまり考えていなかったのかもしれません。「自分がうまくなりたい、日本一になりたい。」と、そんなことばかり思っていた気がします。ある時期、それは必要なことかもしれません。事実、いろいろな職人のお弟子さんたちやスポーツ選手、その他にもいろいろな職業で、そういった「俺が、俺が、」という心意気を美徳とすることをよく見ます。それは、それでいいのだと思います。ただ、言葉の遊びかもしれませんが、それは、齢は二十歳を過ぎていても、そして頑張っていても、「大人」ではないのだろうと思います。また、いわゆる「大人」になるべき時期でもないのだろうと思います。今、思うのは、やはり、少なくとも一人前の仕事ができるようになってから、あるいは、もういい具合に枯れ始めてから、「余裕を持って周りを見渡し、周囲を幸せな気分にさせてくれる。」ような人が、カッコイイ大人なのだと思います。

今後に向かって

まず、周囲の人たちに苦労を掛けないよう、頑張って仕事をしたいです。そして、そうすることが、下肢静脈瘤に悩んでいる多くの人たちの悩み解決につながれば最高です。できるだけ多くの下肢静脈瘤に悩む患者さんと関わり、その問題をひとつひとつコツコツと解決していきたいです。今は、千葉静脈瘤クリニックを、持続、できれば、発展させていくのが目標です。そして、周囲の人たちが僕の助けを必要としなくなってきたら(20年後くらいでしょうか)、その時の僕でも役立つようなところ(たとえば、アフリカなどの医療資源が不足しているところ)で、死ぬまで、今度はいろんな病気に立ち向かっていってみたい、と思っています。今は全く知らないアフリカの大地で、今は全く知らない人達に囲まれ惜しまれながら、90過ぎくらいで死ねたら最高だと思います。これは、夢、ですね。

若者へのメッセージ

若い人達で、やること、好きなことが決まっている人は、幸せです。なりふりかまわず、そのことに没頭してください。できるだけ、その状態を長く続けられて、もし一生が過ぎれば、その人はたぶん「天才」とか称されているのでしょう。でも、こういう人はそう多くいないと思います。だって、「天才」と呼ばれる人がたくさんいては「天才」ではなくなってしまいますから。何をやっていいか、何が好きか、決まらなくても、焦ったり恥じたりする必要はないと思います。そういうときは、しょうがないですから、与えられた仕事や可能性のあるものを、自分の納得のいく範囲でこなして、真面目に生きていけばいいと思うんです。そのうち、すごく好きなものと出会うかもしれないし、何とも思っていなかったものがとても好きになったりすることだってあるかもしれません。もし、そうじゃなくても、とにかく仕事は真面目にやっていくほうがいいと思いますし、そうすべきです。そうしていると、少なくとも、ある程度齢を取って枯れ始めるころには、周囲の人達を幸せにできるような「カッコイイ大人」になっていると思います。テレビや新聞に出ていなくても、ネットで取り上げられていなくても、結構「カッコイイ大人」は周りに大勢いると思います。

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お気に入り

拡大鏡

外山先生から頂戴した建部青洲堂製のもので、持っているものの中で一番古いものですが、かけている感じすらほとんどなくそれでいて十分拡大の機能は果たしてくれる優れものの一品です。

「河瀬丸」の写真

成人して、さらに、40歳を過ぎてから、いやもっと後で初めて見た、祖父が経営していた河瀨運輸という神戸の会社が保有していた「はしけ」の写真です。コンテナの出現で港のはしけはなくなりましたが、当時の雰囲気が好きなのと、僕も「河瀬丸」をしっかり操舵していかなくては、という気持ちになれる元気をもらえる一品です。