覚悟の瞬間(とき)

あまきクリニック 院長 味木幸
あまきさち

味木幸

広島県生まれO型
職業:あまきクリニック 院長
趣味:料理・手芸・園芸・映画鑑賞・子育て・ジュエリー
座右の銘:かけがえのない存在=絶えず異なること。CHANEL

広島ノートルダム清心高校在学中に米国1年の留学。米国高校卒後、母校にもどり、母校も卒業。現役で慶應義塾大学医学部入学。同大学卒業後同大学眼科学教室医局入局。2年間の同大学病院研修ののち、国家公務員共済組合連合会 立川病院、亀田総合病院、川崎市立川崎病院・眼科勤務。博士(医学)・眼科専門医取得。2003年あまきクリニック(眼科・形成外科・皮膚科)を、院長として新橋に開設。2007年法人化、医)慶緑会理事長に。2013年ルミネ有楽町店に眼科を開設。医師として、痩身・美肌作り・メイクアップまでを医療としてアプローチする。著書も多数あり。テレビ・ラジオ・雑誌取材多数。学校医も勤める。4児の母。

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来歴

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幼少期~学生時代

内科医の長女として生まれました。専業主婦だったの母、曰く「生まれたばかりの時は、ぶっさいくな子で、隠して育てた。だんだんましになった」と言っていました。父は内科医院を自宅開業という形でゼロから始め、私は両親の多忙な様子を見て育ちました。母が忙しく、多くのことに手が回らなかったため、私は自分のことは自分でするしかなかったです。裁縫、アイロンがけ、風呂掃除、料理、菓子づくり、なんでもできるようになったし、それが楽しかったです。一人部屋をもらってからは、自分で壁のペンキ塗り、カーテン縫いなどで、自分の部屋を改造しました。小学校時代、広島では有名だった山口塾という塾に通い人生が楽しくなりました。中学から通った、広島ノートルダム清心中高等学校では、バレー部、放送部に入り、NHK広島県中学生アナウンス部門1位獲得。高校2年夏米国留学へ。留学のきっかけは、留学試験を友人が受けるので、「一緒に」と誘われたから。私だけが合格し、友達は落ちてしまいました。1年間満喫して、元の高校の1学年下の2年夏から再開。また、元々私は一重瞼で、二重瞼になりたかったです。高校1年の終わり頃から自然に二重瞼になり、私には神様は願いを叶えてくれると心から感心しました。大学は現役で東京に行きたいと思いました。厳しい父は、「いい大学じゃないと行かせない」といわれたので、これ以上出来ないと言えるほど勉強しました。

現在の道に進んだきっかけ

医師になり、何科に入局するのか決めるとき色々迷いましたが、手術がしたかったことと、比較的短期でスキルが得られる眼科を選びました。眼科医になってから、眼科のなかでの専門は特別決めていませんでしたが、角膜や外眼部、まぶたに興味がありました。またローテーションで、麻酔科、救急科、脳外科、整形外科、耳鼻科、皮膚科、泌尿器科などの眼科以外も学ぶ経験をしたので、広い範囲の知識と経験と人脈を持つことも出来ましたね。 医師になり、忙しくなると、結婚どころではなかったのですが、33歳の時、夫と出会い、気付いたら結婚という感じでした。その後4人の子に恵まれました。、夫と一緒に新橋にクリニックを開院できたことは、亡き父には伝えられませんでしたが、まだ意識のあった母には喜んでもらえ、嬉しかったですね。その新橋開業時には、医学博士取得、執筆本出版2冊も重なり、妊婦でありながらも、すべて責任を果たせたという達成感がありました。開業後2ヶ月で出産、その後も流産や2回の出産をして、スタッフ患者には迷惑をかけましたが、いまでも、4人産んで良かったと思っています。また、2013年秋には、有楽町に分院を1つ作り、次は、銀座に美容と痩身のクリニックを開いたり、オリジナル化粧品や宝飾デザインなどの多角的発展も進めています。

覚悟の瞬間

1、記念受験でたまたま慶應医学部に合格したことで、医師になる使命を与えられたと感じた時。 2、お互いを認識してたった2週間なのに、積極的にドンドン結婚を進めていった私の夫に運命を感じた時。 3、2002年秋、新橋のクリニックの開業場所が決まり、手付金を払った後、第2子を妊娠していると判明。開業予定は、4月。出産予定は7月と! 4、開業後、2か月で緊急帝王切開。資金も底をつきそうになり、毎月自分の預金口座から500万円ずつ残高が減っていく恐ろしさ。夫に相談したら、「自分の資金が底ついてから考えろ」と言われた時。 5、結婚後、両親や兄弟が亡くなり直系の頼りはいなくなり、これからは、誰にも頼らず、生きるしかないと思った時。 6、自分の年賀状のおんぶ姿(第四子)を改めてみて、自分が「おばさん」になっていると実感。「人から見られている自分」を意識し、輝く自分を取り戻そうと覚悟した時。 7、自分のクリニックは、私の専門の眼科以外に皮膚科、形成外科があり、実は、美肌づくりのための技術と材料、すべて揃っていることに気づいた時。

今後の目標

私は医師である。今後は、目のみならず、人の健康と美の向上に貢献していきたいと考えています。人の人生には必ず終わりがあり、ふと気づいたら、人生の折り返し地点を過ぎていました。自分のやりたいことをドンドンやり進めていきたい。これまで自分が歩んできた軌跡での学びや感動、そして、周りの方々の言葉や表情などを元に、人々の病気や悩みを解決し、回復する手助けを続けていきたいです。また、回復とは、その人が、心身共に、健康と美で輝かしくなることだと信じています。これからの日本は、世界の中の日本として、世界に通用する健康と美を兼ね備えているべきだと思います。そのために、私は、エビデンスに基づく、正確で新しい情報を伝えていく役目になりたい。間違った情報や、エビデンスのないことに惑わされないことが大切だからです。目は情報の8割を得る役割をもつと言われ、また、これからは、目が体内時計の要を握ると言われている。目と、健康と、美をメンテナンスすることを当たり前のように考えていける日本を作ることを目標とします。そして、最後に、私は、広島人です。広島の応援を続けます。

日本を背負う若者へのメッセージ

「やりたい!」という目標・希望があったら、恥ずかしがらず公言しましょう。お金がない、時間がない、微力だなどの理由で先延ばしにすると、一生実現不可能。若くてハードルが高くても、その時しかないチャンスも逃してしまいます。私は、多くの人から「そんなこと、無理でしょう」と笑われても、今できない理由があっても、公言して意欲をアピールし、多くの出会いや助言を得ました。できないと思っていても、案外やってしまったら、あとからなんとかなることが多いんです。自信と勇気を持ちましょう!

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