覚悟の瞬間(とき)

株式会社寿幸 代表取締役 田中寿幸
たなかとしゆき

田中寿幸

福井県生まれ
職業:株式会社寿幸 代表取締役
趣味:プロのオーケストラの鑑賞
座右の銘:金を失うことは小さく失うことである。名誉を失うことは大きく失うことである。しかし勇気を失うことはすべてを失うことである(ウィンストン・チャーチル)

1977年福井県丹生郡の越廼村出身。地元の高校を卒業後、クレーン運転手、重機オペレーター、ユンボの運転などの職に就く。2002年商売を始めようと大阪に出るが一か月でクビになるなど、一年間の現場修行を経て2003年開業。2006年、現在の大阪本店となる「鉄板神社」をオープン。後に席数売上日本一とメディアで紹介される。08年株式会社寿幸設立。2009年には支店経営化に着手し2013年に他業態化を見据えて焼きそば専門店「寿座」、2014年にはスイーツ業態の「シンフォニーシフォン」をオープン。現在は東京出店準備中。著書に「乗り越えられない壁はない」KADOKAWA/中経出版。

オフィシャルサイト

来歴

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幼少期~学生時代

私は福井県丹生郡の越廼村という小さな村の出身です。田舎独特の考えなのでしょうか、村で育ち、村で安定した職に就き、家庭を築いてゆったりと歳を重ねるのがこの村の流れというか、「当たり前」でした。私もその道に則り、地元の高校を卒業後、クレーンの免許を取りクレーン運転手、重機オペレーター、ユンボの運転などの仕事を6年間やっていました。

現在の道へ進んだきっかけ

クレーンの仕事は給料もよく生活も安定していたのですが、次第に生活のためだけに人に使われて働くこと、平凡な人生を送りことに「何かが違う」と感じるようになり、安定より好きなことをしよう、と考えました。25歳のとき「今のすべてを捨て、大阪で商売をやろう」と決めました。当然のように周囲は大反対、小さな村なので私の顔を知らない人はいません。みんなに引き止められました。もし、失敗してすぐ帰ることになれば村全員にボロカスに言われる、居場所もなくなる。失敗したら二度と故郷に戻れないという覚悟で、大阪に出ました。負けず嫌いで、気持ちだけは強かったので、どんなことがあっても壁を乗り越えよう、と思っていました。

覚悟の瞬間

開店して1週間、お店にひとりもお客さんが来てくれませんでした。そこで思いついたのは、お客さんが来てくれるまでお店を開け続けようということ。開け続けた結果、どこも開いていないから、と来てくれたお客さんが1人、2人と増え続け、気に入ってくれたお客さんは100発100中。次第に増え続け、口コミでも広がっていきました。お客さんが来るまで開け続ける。これに相当な覚悟が必要でした。体がボロボロで倒れるのではないかというしんどい時期もありましたが、絶対に負けない、絶対に成功するぞ、という強い気持ちがありました。だから実行できたのだと思います。覚悟とは命がけ。成功とはそういうことだと思うのです。

今後の目標

うちの会社に入りたいけどなかなか入れない、従業員のみんながうちにいて良かった、という満足度が日本一になるくらいの会社作りをするのが目標ですね。プロの集団を作る・良い人材を育てるということがまず焦点で、良い人材がいれば前に進める。ゆっくりでもいいので、永続が一番の目標です。100年200年続くような会社作りをしていきます。

日本を背負う若者へのメッセージ

失敗しようが突き進む姿を見せること。挑戦する生き様がカッコいい人はカッコいいオトナです。社会で大切なものはノウハウではありません。表面的なノウハウの前に人としての「義理人情」「恩」「感謝の気持ち」といった心のあり方こそが最重要です。そして「一つ上の目標をコツコツ乗り越えていくクセ」をつけること。努力して壁を乗り越え、達成できたという経験を繰り返し、少しずつ高い山を越えられるようになっていくことで、次は「乗り越えられる」という強い気持ちが沸いてくるからです。必ずその人の人生を好転させるきっかけになるはずです。

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