私のカクゴ

福島県 市長 / 全国市長会会長 立谷秀清
たちやひできよ

立谷秀清

福島県生まれO型
職業:福島県 市長 / 全国市長会会長
趣味:カメラ
座右の銘:見ざる、聞かざる、言わざる

1951年6月、元相馬市議会議長を務めた父の元に生を受ける。
高校は仙台第一高等学校を卒業し、福島県立医科大学に進学。
大学修了と同時に医師免許を取得、公立気仙沼総合病院で初期研修、東北大学医学部附属病院、公立相馬病院にて、内科医師として診療にあたったのち、1983年相馬市に戻り、立谷内科医院を開業し、地域医療の発展に尽くす。(現在:医療法人社団茶畑会 相馬中央病院)その後2001年に相馬市長選挙に出馬し当選、2002年にその職に就任する。
2011年3月11日に発生した福島第一原子力発電所事故の際には、その日の夜に市役所職員に対して、被災者のための棺の確保や仮設住宅の確保、さらには、双葉郡から避難してくる方々の受入準備を指示するなど、迅速な震災対応の指揮を執ったことで全国に名が知られる。

オフィシャルサイト

来歴

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なぜ今の仕事に?

私はただ、市民の期待に応えたい。それができる職が市長であり、そうなる為に選挙に出馬しました。もともと医師であった私ですが、いまは市長としての仕事がほぼ9割を占めております。ただ医師としての経験や知識が、相馬市の医療の発展や、地域医療を守るための取り組みを考える上で、大きな武器になっていると思っています。

現在の仕事への想い

大きなことをやり遂げる人生!というよりは、地道ではあっても、少しずつ駒を進める。そのように相馬市も発展させていきたいと思っております。ひと言で言い表せるものでもありませんが、市民の皆様が「不幸な目にあわないようにすること」。信念というより、行政の基本ですね。不幸というのは、生活面はもちろん、災害などもそうです。全てを0にすることは難しいですが、できるだけ感じる不幸を小さくするような体制を整えていきたいと思っています。市長の仕事は地道な活動が多いですが、楽しくもあり、孤独もあったり、我慢もありますが、達成感を感じることができる仕事です。

あなたにとって覚悟とは

私にとっての覚悟とは、判断や決断のことを意味していると思います。そういった意味で一番心に残る”覚悟”というのは、福島第一原子力発電所事故のときです。あの時は様々な情報を整理して、避難の必要はないと判断しました。そのような中で、私の袖を掴んで不安な声をもらしたご高齢の方に「俺に任せろ!」と言い切りました。その時に、改めて責務の重さを痛感した経験が、判断や決断するときの大きな糧となっています。

カッコイイ大人とは?

忍耐強く、そして忍耐していることを表に出さないひとです。競争において、我慢をする必要はないですが、日常の大抵のことは我慢する場面の方が多いと思います。それを”忍耐”と捉えて行動できるひとこそが、より成長できると思いますし、社会に必要とされる大人になると思います。

今後の展望

東日本大震災からの復興・創生期間の10年の間に必要な事業を全て完了させる。今はこれを目標にしています。そしてその後は、10年間をかけて地域を再生した力を使って、未来の相馬市を創り上げることです。震災前よりも、この先もっと良い相馬市にすることが亡くなった方々に対する供養であり、今こうして私がここにいることの使命だと思っています。

日本を背負う若者へメッセージ

夢に加えて、志のある大人になってください。自分のためだけに生きる人生になんの意味がありますか? 親兄弟、友人、恋人、社会のために生きる人生を歩んでください。そういう気持ちを持ち続ける若者が増えたら、日本の未来はもっともっと輝いていくことでしょう。

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