覚悟の瞬間(とき)

衆議院議員 中田宏
なかだひろし

中田宏

神奈川県生まれ不明
職業:衆議院議員
趣味:空手道
座右の銘:先憂後楽

1983年、神奈川県立霧が丘高等学校卒業。1989年、青山学院大学経済学部卒業、松下政経塾入塾。1992年、日本新党旗揚げに参画する。1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧神奈川1区(中選挙区)でトップ当選(日本新党公認)。1996年、 第41回衆議院議員総選挙に神奈川8区(小選挙区。当時は横浜市青葉区及び川崎市宮前区)で2回目の当選(新進党公認)。2000年、第42回衆議院議員総選挙に神奈川8区(小選挙区。当時は横浜市青葉区及び川崎市宮前区)で3回目の当選(無所属の会公認)。2002年、横浜市長選挙に初当選(政令指定都市では最年少で当選)。2006年、横浜市長選挙に2回目の当選。2008年、横浜市長を辞任。

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来歴

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幼少~学生時代

いわゆる「きかん坊」でした。親の言う事も聞かなかったですし、他の人が尻込みして嫌がることを「じゃあ、おれがやる!」と言っていたりしました。怖いもの知らずで、怖いもの見たさに行動する癖があったと思います。「何のため?」ということをいつも考えていた記憶があります。

政治家の道へ進んだきっかけ

大学を卒業をするころには、社会に対して疑問を持つようになっていました。そこにどのようにして自分の力を発揮するかというように考えるようになっていきました。それが行き当るところには「政治」というものがある、ということにも気づいていました。大学卒業後には、日本新党に参画し、1993年に衆議院選挙への出馬を打診されました。

ターニングポイント

当時、横浜市行政というのはずっと「相乗り」状態でした。30年に渡って、選挙率30%の中で「オール与党」という状況でしたので、誰が立候補しても負けが予想されているものでした。もちろん私も立候補したとは言え、九分九厘負ける選挙だと思っていました。私には勝算はありませんでしたが、同時に敗算も予想できませんでした。みんなが何となく「このままではいけない」と思っていることが感じられたので、やろうと思えたことも事実です。

覚悟の瞬間

やはり横浜市長を辞任する時は、相当の覚悟を必要としました。2期活動してきて、財政の立て直しを行うこともできて、どうやって次の市長につなげることができるかということを考えたら、あのタイミングしかありませんでした。私があれ以上市長を続けてしまっていたら、また「相乗り」状態が続くことが予想されました。横浜の「未来」にとってよくならないと考えていました。

今後の目標

ひたすら社会のために活動していきたいと思っています。批判されることも多くあります。なぜなら、「社会のためだ」と判断して、そのことによってマイナスになる人もいるからです。自分の私腹のために社会をダメにしている例は多くあります。逆に社会をプラスにして、自分が批判されるのならそれはまだ良いと私は考えます。「社会を良くする」という言葉が意味するところというのは、「今だけでなく、未来」「一部だけでなく、広く」を対象としています。その縦と横を基準に考えた時に、どの選択が一番正しいのかということを常に考えて行動するようにしています。そして、これからも・・・。

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人からのいただき物です。もとよりブランドなどに別段こだわりはないのですが、本当に良い商品は「良い」のだなと思いました。

ミニノートパソコン

横浜に本社を構える工人舎のミニノートパソコンです。ディスプレイの向きを縦軸に変えられたり、持ち運びがしやすいようにベルトが付いていたりとちょっと変わっていますね。