覚悟の瞬間(とき)

格闘家 宇野薫
うのかおる

宇野薫

神奈川県生まれB型
職業:格闘家
趣味:フリーマーケット
座右の銘:1円でも、お金をもらっている以上はプロである

レスリングをバックボーンに、1996年の全日本アマ修斗選手権で準優勝。同年10月の桜井速人戦でプロデビュー。1999年5月、佐藤ルミナを破り第4代修斗ウェルター級王者となる。2000年12月に佐藤ルミナとの初防衛戦に成功すると修斗離脱を宣言。2001年2月よりUFCに参戦し、世界のトップファイターの一人として活躍。UFCウェルター級王座にも2度挑戦している。2005年よりHERO'Sを主戦場とし、同年のミドル級トーナメント3位、2006年の同トーナメント準優勝、2007年の同トーナメント3位の成績を残している。2008年はDREAMライト級GPにエントリーし、石田光洋を破ってベスト4進出。2009年からUFCに参戦した後、2010年7月の『DREAM.15』にて階級をフェザー級に変えてのDREAM再参戦を宣言した。日本が誇る総合格闘技界のパイオニア。

オフィシャルブログ

来歴

1 2 3 4 5

幼少~学生時代

とにかく動くことが大好きな子どもでした。私が幼稚園のころは、ちょうどタイガーマスクが流行っていた時期でした。4つ上の兄がタイガーマスクの大ファンだったので、影響を受けてプロレスが好きになりました。それからは兄と一緒にプロレスを見たり、プロレスごっこをしたりと夢中になっていましたね。プロレスに限らず、サッカーも野球もしていましたし、本当に運動がすきだったのだと思います。

格闘家の道へ進んだきっかけ

前述の通り幼稚園の時からプロレスが大好きだった私にとって、夢はプロレスラーになることでした。中学校の時に船木誠勝選手が中学校を卒業してすぐにプロレスラーになった事実を知り、「自分も中学校を出たらすぐにプロレスラーになろう!」と思っていました。しかしながら、父の反対を受け、進学することに。高校に入学した時には、自分なりにプロレスの基礎を学びたいと思っていたのでレスリング部に所属しました。

覚悟の瞬間

父が他界した時が私にとっての覚悟の瞬間でした。高校卒業時にプロテストを受けましたが、合格することはできず専門学校へ進学しました。当時はプロレスラーになることがただの「憧れ」であって、本気でなる覚悟はできていなかったのだと思います。その専門学校在学中に父が他界しました。いつもは優しく私たちに接し、悩んでいる時には厳しいアドバイスをくれた父がいなくなったことは私に大きな影響を与えました。それまでの自分の生活を振り返り、「自分は何をやっているんだろう・・・。このままではプロレスラーになることはできない」と、プロレスラーになることを本気で覚悟した瞬間でした。

ターニングポイント

「修斗」トーナメントで決勝まで行けたことは今でも忘れることができないターニングポイントです。プロレスラーになることを本気で決意し、最初に起こした行動は佐藤ルミナ選手の道場を訪ねることでした。初めてプロの選手とスパーリングをしてみて、何もできない自分を恥ずかしく思いました。プロになるにはまずアマの世界で勝ちあがらなければならないことを痛感しましたね。約半年後、「修斗」のトーナメントに出場することを決めた時には周りからの反対もありました。それでも決勝まで勝ち残ることができたことが私の格闘家人生に大きな自信ももたらした出来事でした。

今後の目標

総合格闘技は何年やっていても難しい競技です。「勝ちたい」という気持ちがぶつかっている以上は、それは当たり前だと思います。それでも自分が「これ以上できない」と言うまで、現役として勝ち続けたいですね。実は試合に負けた時はいつも辞めたいと思うこともあるんです(笑)それでもその後に悔しい気持ちが湧いてきて、その気持ちが湧く限りは現役として在り続けたいと思っています。感謝と素直な気持ちを大切にこれからもがんばります。

おすすめ動画※この動画を見た人はこの人の動画も観ています

放送作家 元祖爆笑王

放送作家
元祖爆笑王

映画監督 井筒和幸

映画監督
井筒和幸

服飾評論家 市田ひろみ

服飾評論家
市田ひろみ

お気に入り

スニーカー

自分でカスタマイズできる種類のスニーカーです。もともとファッションに興味を持ち始めたのは、スニーカーがきっかけでした。ランニング用、私服用などすべて合わせると100足以上持っています。

デニム

古着なども含めて、昔からデニムは好きです。何着・何本持っていても欲しくなりますね。