私のカクゴ

宮内建築 棟梁 宮内寿和
みやうちひさかず

宮内寿和

滋賀県生まれAB型
職業:宮内建築 棟梁
趣味:オートバイ、料理
座右の銘:天使の顔して悪魔の心

中学卒業後、定時制高校に通いながら父のもとで大工修行に入る。32歳で独立、35歳で宮内建築の代表になる。現在46歳

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来歴

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幼少~学生時代

代々続く大工棟梁の家系に生まれ、いつも家には色んな職人さんが出入りしていました。幼いころから土日曜になると親父の仕事について行き、現場で色んな作業をさせてもらってました。今でいう習い事みたいなもんだったんでしょうね、生きていくための。夏休みなんて毎日のように現場について行ってましたね。定時制高校に通いながら昼間は大工修行に、夜は学校が終わってから友達とバイクを乗りまわしたり、そこらじゅう遊びまわってましたね。

現在の道へ進んだきっかけ

5歳のときに初めて屋根の上にあげてもらい、野地板(屋根瓦の下地)の釘を初めて一本打った瞬間に「これや~」「俺大工になろ~」ってまるで雷が頭に落ちたというか、神様に囁かれたというか、今でもその時の様子ははっきり覚えています。

覚悟の瞬間

一つ目は阪神大震災と東日本大震災・・・この震災で沢山の尊い命が失われました。我々大工が造った建物も沢山つぶれました。日本の大工の使命、それは「人の命と財産を守ること」。日本の大工は最低でも今まで起こった地震でつぶれるような家は絶対造ってはいけないということです。 二つ目は20代のころ。当時、ハウスメーカーの仕事が大半でしたが、ある出来事がきっかけで今までの自分が嫌になりました。さらに、父から独立した32歳のころ、無理がたたり体を壊しました。その時に大工をやめようと思いましたが、知り合いの棟梁の現場に遊びに行ったとき現場から杉やヒノキ国産の木の匂いがしました。その国産の木の匂いを嗅いだ瞬間に幼いころ自分がなりたかった大工はこういう大工やったんやと。それで一から出直そうと奮起し、今があります。         

今後の目標

木造建築は風景になります。今、我々が各地方で見る素晴らしい、感動する風景は100年以上も前の人たちが造ってきたものです。今から100年後の子孫が今の人間が造った風景を見て感動してくれるでしょうか。次の世代に負の遺産を残さないためにも、本当の職人を育てることのできる環境づくりをしたい。少なからず、自分が感じているこの仕事の楽しさや奥深さ、尊さを伝えることのできる場を造ろうと思います。

日本のアカルイ未来のために

人それぞれ、どの道も素晴らしい生き方があります。私もまだ道半ばです。辛いこと苦しいこと悲しいこと腹立つことばかりですが、でも楽しいです。それは努力することを神様から与えられているからです。大工とて常に世の中のために何ができるかを考えています。大事なのは少しでも今より良くなるように、常に考えることです。一度きりの人生楽しく生きなきゃ損。

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三味線演奏者 吉田良一郎

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埼玉医科大学国際医療センター心臓血管外科 教授 新浪博士

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俳優/画家 片岡鶴太郎

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お気に入り

かなづち

弟子入りした時に、親方である父親に最初に買ってもらったのがこのかなづち。丁稚当時から30年間の自分を一番よく知っている道具です。

玄能

大好きな祖父から譲りうけた道具。大工修行に入ると祖父に告げたときに「これ持っていけ~」と、私が生まれたときからこの時が来るのを誰よりも楽しみにしていてくれたのも祖父でした。大好きなお爺ちゃんの思い出がいっぱい詰まった道具です。